諸侯の一人称について
礼記めもです。 諸侯の一人称については、中原の諸侯と夷狄の諸侯とで使うものが違うらしい。ということで、『左伝』襄公年間前半に覇を競った、中原代表の晋の悼公と夷狄代表の楚の共王。うちの共王様は、鄢陵の戦いで左目を射られて負傷した後、左目を隠すように髪を垂らしています。眼帯みたいなもので隠さずに、自らの汚点(鄢陵での敗北の象徴である左目)を多少あらわにすることで戒めとしています。髪で多少覆い隠しているのは、自分を見た人があまり不快感を感じないように、という他者への配慮です。けっこう痛々しいですからね…(>_<)。 さて本題に戻って。 確かに『左伝』を見てても、楚の共王様なんかは「不穀」なんていう珍しい言葉を使ってるなーとは思ってたんですが、それは夷狄の諸侯だからだったのか。中原の諸侯は「寡人」「孤」という一人称を使うイメージがなんとなくあったのですが、この二つも微妙に使い分けがあるみたいですね。 『礼記』にはこの他にも、いろんな身分の人のいろんな状況における一人称の話が載ってます(が、けっこう煩雑なのでここではカット)。諸侯の一人称については、上記の曲礼下の他に、玉藻篇にも詳しいことが書いてありました。 一人称とか二人称に注目して左伝を見てみてもおもろいのかもしれない。