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拙宅春秋設定メモ(欒氏)

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★拙宅欒氏の特徴 ・配色は紫+青緑がメイン ・黒髪を長く垂らし、毛先はぱっつん気味で整っている ■欒書■ ・控えめで冷静な人物と馬が合う。趙朔とか士燮とか荀首とか韓厥とか ・押しが強く周囲を顧慮しない連中は嫌悪の対象。郤克とか三郤とか趙同趙括とか ・徳を積もうと努める高潔な側面を持ち一方、己の中の憎悪の心を制御することができない。一度憎悪を向けた相手には一切容赦せず、持てる力の限りを尽くして排除する ■欒盈■ ・范氏の血を引く(母が欒祁=士匄の娘)ので、拙宅范氏の特徴である金具を髪につけている ・「善良」を人にしたらこんな感じなんだろうなーというくらいの善良人間の権化 ・父の欒黶の横暴さと母の欒祁の奔放さにはそれなりにうんざりしているが、父母である以上、子としてしっかり仕えようとしている。たびたび父母を諫めるが、聞いてもらえない ・温和ではあるが正義感がとても強い。そういった人格者的な側面が、人々を引き付ける魅力にもなっている。祖父でもある士匄により国外に追いやられたが、自分には落ち度はなく、誤っているのは士匄であると考え、道義的な正しさを証明するためにも、敢えて晋に戻り士匄と対峙することを選ぶ。権謀術数の駆け引きはかなり苦手で、そういった狡猾に見える手段をむしろ嫌う節すらある。その潔癖さが彼の命取りになるのだが…

拙宅春秋設定メモ(范氏)

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★拙宅范氏の特徴 ・配色は白+青緑+黄緑メイン ・髪に何かしらの金具をつける ・冠から二本のひも(総)を垂らす ■士会■ ・基本は飄々として温和。過去の遺恨もある程度スルーできる。過去に拘泥せず、現在におけるベストな選択ができる ・バランス感覚にもすぐれた万能タイプ。謙虚だが、持ち合わせた能力が大きすぎて、顕示せずともおのずと表に滲み出てきてしまう ・人付き合いにおける距離感の掴み方も絶妙。人を立てても自分を犠牲にせず、その逆も然り。最強に空気が読める ・家族思いで、我が子には厳格であろうとするものの親馬鹿が滲み出てしまう。能力をひけらかした士燮をシバいた後は、けっこう心に傷が残った(笑) ・郤缺とは親馬鹿仲間。時々二人で結託して、親心ゼロの趙盾に絡んだりする(笑) ■士燮■ ・士会が秦に亡命した際は8歳くらい。晋に戻った頃は14歳くらいでそれなりに思春期で、父の命運を弄んだ(と士燮は考えている)郤缺や趙盾を憎んでいた(が、それは父や一族の者を思っての憎しみではある) ・小さい頃から父上だいすき。病的に尊敬している。彼の生涯の行動理念は士会のそれに則っている(士会がそれを息子に求めた訳ではなく、士燮が自らの意志でそうしている) ・郤克に弟分扱いされることについては釈然としていないが、郤克に言っても流されるだけなのは分かっているので、諦めて受け入れている ・卿になった直後、少々調子に乗って士会に杖でシバかれる。その際に簪が折れてツマミの部分がなくなるが、その針のようになった笄を、自らへの戒めの意味を込めて挿している ・顔が息子の士匄とめっさ似てる(描き分けをしてない) ・欒書とは、互いに分かりあってるけど永遠にすれ違う仲(何)が希望… ■士魴■ ・生まれた直後(数か月後くらい)に、父(士会)が晋から秦に亡命。生まれは晋だが、幼少期は秦で過ごし、秦を自分の故郷だと思っていた ・謹厳な兄とは異なり温和。ちょっとのんきなところもある。でも兄弟仲はとてもよい(希望) ・父(士会)の厳格な性質を兄が、温和な性質を弟が受け継いでいる感じ ■士匄■ ・父(士燮)のことは、尊敬するが好きではない。鄢陵の戦いの後、一族の為に自らの死さえ利用するかのような(=自らの死によって息子の士匄に「服喪」というあらゆる誘いの手を拒むカードを与えた)ふるまいに対しては、厲公の乱から遠ざけてくれた恩を

拙宅春秋設定メモ(郤氏)

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★拙宅郤氏の特徴 ・配色はオレンジ+黄+紫メイン ・冠から黄縁の赤い布を垂らしている(郤克は冠に巻いている) ・髪はツンツン気味 ・八重歯(郤缺を除く) ■郤克(と郤缺)■ ・郤克が母の胎内にあった際に呂郤の乱(魯僖公24年/BC636)があり、郤缺は身重の妻を伴って逃亡。それが原因で思いがけず郤克は早めに生まれることになり、生まれた直後から生死の境をさまよっている。髪が白いのは先天的なものだが、小柄なのはそういった経緯も関係してるという設定 ・郤克の右目が見えなくなったのは後天的な病が原因。早めの処置ができれば失明することはなかったかもしれないが、冀野の田舎住まいであり人目を憚って暮らしている郤缺は医者をすぐに呼ぶことができなかった。郤缺はそれを後悔し、ひどく負い目に感じて、郤克に対しては激甘の過保護になる ・郤克は、厳しい環境の中でも父母が自分を慈しんで育ててくれたことをよく理解しており、感謝もしている。だから、魯宣公17年(BC592)に斉に使いした際、父母より授かった自分の身体を嘲笑されたことを、自分のみならず父母をも愚弄する行為だと感じ、尋常ではなく激怒する ・郤克は士会と上軍や中軍でコンビを組んでたこともあり、士会とは家族ぐるみで仲良し。郤克にとって士会はアニキで、その子の士燮は弟分(子分)みたいに思っている。なので、士燮のことは「燮」と名で呼び捨てている ■郤錡■ ・郤克の子。背丈は郤克ほどではないが低い ・甘やかされて育ったので、自分本位で周囲をあまり顧みない。世の中のたいがいものを舐めてかかっている ・父(郤克)が弟分扱いしていた士燮すら舐めてかかり、たびたびイタズラする。速攻看破されては説教されるが懲りない ・主体性はなく、流されやすい。苦労知らずで、必死にやりたいこととかはない。なんとなく楽なもの、楽しそうなもの、利益になりそうなものに取っつきがち