刺青のはなし

 澤田瑞穂『中国史談集』を読んでます。


その中の「雕青史談」という章に、中国歴代の刺青史について触れてあります。この本を買おうと思ったのも、この章があったからで…(笑)。

刺青と水滸伝は切っても切れない間柄(なのか)ですからね!


刺青は、一種の魔除けや受刑者の印として施されたのが初めらしい。そういえば、漢の高祖劉邦の将・英布も、罪人の印の刺青があったから「黥布」(げいふ:黥はいれずみのこと)とも呼ばれていたんですよね…確か。


お洒落として刺青が彫られたのは唐~元にかけてで、明の太祖洪武帝に至ってほぼ断絶したらしい。水滸伝の舞台となる北宋末は、お洒落刺青の最盛期に重なるということになります。


刺青をあらわすことばは複数あって、刺青・箚青・札青・点青・彫青・刺花・彫花・花繍などとも表現されるらしい。ちらっと水滸伝を見てみると、魯智深と燕青の刺青に関しては「花繍」が使われていました。

水滸には他にも刺青を持った好漢がいるので、どの好漢にどんな表現が使われているのかを見てみると、案外面白い発見があるかもしれません。


この章には、水滸伝に触れる節もありますが、その他刺青に関する記述のある文献を多数引用してあって、なかなか圧巻です。白居易の詩を連想させるような図柄を全身に彫った、などという風流じみたものから、男女のあれーな場面を彫って見せびらかして面白がってたというあほか!な話、科挙の試験のカンニングのために腹に解答を彫り込んだけど、未然にバレて落第した…なんていうどうにも痛々しい話までいろいろ。

水滸の刺青は荒くれ、または男伊達の象徴といった感じですが、刺青にもいろいろあるのね…(笑)。


そういえば、水滸伝に登場する呼延灼の先祖とされる呼延賛が、自分だけでなく家族の者にも「赤心殺賊」という刺青をさせていた、なんていう話もありました。子孫の呼延灼は刺青をしていなかったみたいですが。



…水滸伝が本として刊行されたのは、お洒落刺青が衰退した明代になりますが、明の人たちにとって、水滸伝の好漢たちの刺青はどう見えたんだろう。肯定的に受け入れられたのか、否定的に捉えられたのか。古い昔の無頼漢の象徴として、そういえばこんな時代もあったのだという懐古的な思いで見られていたのだろうか。


水滸伝の舞台の宋代は刺青に肯定的。水滸伝が著作された明代は刺青に否定的。その中に、刺青を持った水滸伝の好漢たち。

時代の風潮と関連させて水滸伝を見てみても、面白い発見があるかもしれないなぁ。

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