小説十八史略メモ【殷・周・春秋1】
陳舜臣 『小説十八史略』(陳舜臣全集) 講談社 1986
中国史のふりかえりのために、図書館から借りてきました。
やはり登場人物多いなぁ…名前は聞いたことあってもどんなことをしたか知らない人もいるなぁ…ということで、以下読んだ端からメモします。なので、私の知らない人物についての記述が多くなります。
ホントに「備忘録」そのものになってしまってすみませぬ;
このスレッドには、先史~殷~周~春秋までの登場人物をメモ。
なお、『「小説」十八史略』と言うからには、筆者の陳さんの創作も混じっているかと思いますので、その点も念頭に置いてメモをご覧くださいませ。
以下、登場人物の簡単なメモ。
【先史】
■ゲイ【羽+廾】
尭の世と夏王朝にこの名の人物(いや、もともとは神らしい)がいたという。いずれも弓の名手。天に10個の太陽が昇り、地上が灼熱にさらされた時、天帝の命を受けて天界を降り、9個の太陽を射落としたという伝説がある。弓術の弟子の逢蒙に殺された。弓の弟子が師匠を殺そうとする…というのは、中島敦の「名人伝」にもありますね。
■ジョウ【女+常】娥
ゲイの妻。元は同じく神だが、夫が天帝の怒りに触れため、夫ともども神籍を外されて人間になる。ある時、夫が崑崙山の西王母から薬をもらってきた。一粒飲めば不老不死、二粒飲めば神になれる、という薬を、ちょうど二粒。夫と一粒ずつ飲んで不老不死になろうという約束だったが、神に戻りたいジョウ娥は、一人で二粒飲んで天に昇った。天と地の間の月で一休みすると、体が蝦蟇蛙になってしまった。
【殷】
■紂王・妲己
殷最後の皇帝と、紂王を狂わせた美女。周公が妲己を紂王好みの女にしたというけど…こ、これは陳さんの創作…?
■比干・箕子
紂王の叔父、かつ殷の賢臣。比干は惨殺され、箕子は投獄される。
【周】
■文王
周の文王。古公亶父の孫、季歴の子。
■武王・周公
ともに文王の子。
■太公望
東海の人、姓は呂、名は尚。文王の祖父(太公)が望んだ賢者であるので「太公望」と呼ばれる。
■周の幽王・褒ジ【女+似】
周の国祚を傾けた暗君と、笑わない絶世の美女。褒ジは龍の唾液の化身だとか…。ある時、間違ってのろしが上がり、すわ大事と諸侯が都に駆けつけた。普段笑わない褒ジが、あわてて駆けつけた諸侯を見て、初めて笑った。幽王は大喜びで、以後、褒ジを笑わせるためだけにのろしを上げた。諸侯は懲り懲りして、本当に王が襲われてのろしを上げた時も「また褒ジを笑わせたいのだ」と言って無視した(狼少年みたいな話だ…)。幽王は異民族に殺され、周王朝は名目だけの存在となり、諸侯が覇を競う春秋時代に突入。
【春秋/斉の桓公・晋の文公周辺】(人名の後ろの<>内は所属する国の名)
■斉の桓公<斉>
名は小白。キ【人+喜】公の子。襄公(後述)の弟であり、糾の弟。お守役に鮑叔牙。管仲を宰相に得、「春秋五覇」の筆頭に挙げられる。
■管仲<斉>
桓公の宰相。最初、桓公の兄の糾のお守役だった。小白(桓公)と糾が斉の国主の座を争ったとき、小白に矢を放って殺そうとしたこともあるが、友人の鮑叔牙の推薦で、桓公の宰相となった。
■鮑叔牙<斉>
小白(桓公)のお守役。管仲とは仲がよく、「管鮑の交わり」の故事で有名。糾を破ったとき、糾のお守役であった管仲を桓公に薦め、桓公を春秋の覇者にする。管仲の臨終の際の二人の会話はよいな…。
■斉の襄公<斉>
桓公の兄。名を諸児(しょげい)。妹の文姜(魯の桓公に嫁いでいる)と不倫&近親相姦をするという非道の君主。従弟の無知の反乱に遭って殺される。
■彭生<斉>
襄公の子。怪力の持ち主で、父の命令で魯の桓公を絞め殺した。後に事がバレて、魯の桓公殺害の罪をかぶって殺された。
■糾<斉>
小白の兄。母は魯の人。国主争いに敗れ、魯で殺された。
■曹沫<魯>
魯の荘公に仕える将軍。桓公の斉に敗れ、魯の地を斉に割譲することになった際、斉の桓公に匕首を突きつけて、魯地割譲を撤回させた。
■晋の献公<晋>
重耳(文公)の父。斉の桓公の娘・斉姜との間に申生を、狄(てき)の姉妹の間に重耳と夷吾を、驪姫(りき)との間に奚斉・悼子をもうける。美女の驪姫に寵愛を傾ける。
■驪姫<晋>
献公に嫁ぐ。故国の驪戎(りじゅう)を晋に蹂躙されたのを怨み、献公をそそのかして晋を滅茶苦茶にしてやろうと策謀する。献公の太子の申生に罪を着せる手口などは「見事」としかいえない。献公が死んだ後自殺。
■申生<晋>
献公の太子。素直すぎるたちで、驪姫の策で父に疎まれるようになると、もうこれまで…と諦めて自殺する。
■荀息<晋>
晋の大臣。献公から奚斉の後見を頼まれる。が、国内の家臣たちに奚斉を立てる意志はなく、奚斉・悼子が殺されると自らも殉死する。
■里克<晋>
晋の将軍。奚斉・悼子を殺して夷吾(恵公)を迎える。が、一時重耳派であったため、奚斉・悼子を殺害したことを理由に恵公から自殺を命じられる。
■夷吾(恵公)<晋>
父に疎まれると、一時抗戦するものの梁に逃亡。献公の死後、秦から兵を借りて晋に戻り、即位して晋の恵公となる。秦に対して義理に背くことばかりしたので、国内でも嫌われ、さらに秦の繆公(ぼくこう。穆公と同じ…?)に大敗した。13年在位の後病死。
■圉(ぎょ)<晋>
恵公(夷吾)の太子。恵公が秦の繆公に負けたとき、秦の人質となる。父が死にそうだと聞くと、秦を抜け出して晋に戻り、父の死後即位して晋の懐公となる。が、無断で秦から出たため秦の繆公は激怒して、亡命中の重耳に兵を貸して懐公を廃位させた。
■重耳(晋の文公)<晋>
「逃げの重耳」。父・献公に疎まれて国外に逃亡し、諸国を転々とし、斉の桓公・宋の襄公・楚の成王などの庇護を受けるが、冷遇されることも少なくなかった。19年の逃亡生活の後、ようやく晋に帰国し、文公となる。春秋五覇に数えられる。「三舎を避く」の故事でも有名。
■趙衰(ちょうし)・狐偃・賈佗(=胥臣)・先軫・魏武子<晋>
重耳を助け続けた5人の賢臣。重耳はよく彼らの言葉に耳を傾けた。ちなみに狐偃は重耳の母の弟にあたる。
■介子推<晋>
重耳を助けた臣の一人だが、重耳が晋に戻ると隠棲し、母とともに余生を送った。文公(重耳)の招聘に応じなかったので、文公が介子推のいる山に火を放って出てこさせようとしたが、介子推は木を抱いて焼死したという話がある(史記や左伝ではなく、呉越春秋に見える話らしい)。
他にも、春秋時代の呉・越の人物もメモしたいのですが、かなり長いのでスレッド分けます。続きは「小説十八史略メモ・2」にて。
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