小説十八史略メモ【戦国2】

 陳舜臣 『小説十八史略』(陳舜臣全集) 講談社 1986



戦国時代続き。



【戦国時代】(人名の後ろの<>内は所属する国の名)

■孟嘗君(田文)<斉>

多くの食客を養った「戦国四君」の一人。斉のビン【さんずいに民+日】王の叔父に当たる。「この日に生まれた子は、大きくなると父母を害する」といわれる5月5日に生まれ、父に捨てられそうになったが、母が密かに田文を養育していた。秦の昭王からの申し入れで、孟嘗君は秦に行って宰相になった。が、秦の朝廷では、やはり孟嘗君を用いるのをやめ、他国に行かれる前に殺そう、という話になった。これを密かに知った孟嘗君は、食客を使って秦の昭王の追っ手をかわし、秦から脱出した。秦の国境の函谷関を「鶏鳴狗盗」の徒によって脱出した話は有名。

孟嘗君は斉に帰ったが、ビン王との折り合いが悪く失脚。3000人いたと言われる食客は散り散りに去ったが、一人残った馮灌の尽力で斉の宰相に。再び多くの食客を養った。が、やはりビン王に憎まれて殺されかけたので、魏に奔ってそこで宰相となった。

■秦の昭王<秦>

孟嘗君を秦の宰相に迎えたい、と、母(宣太后)の弟の涇陽君を人質として斉に差し出し、孟嘗君を迎えた。

■幸姫

秦の昭王の寵姫。孟嘗君が殺されそうになった時、孟嘗君側から頼まれて、貴重な皮衣とひきかえに孟嘗君への追及の手を緩めるよう取り計らう。

■孔路

孟嘗君の食客。弁舌が得意。幸姫と折衝する役目。

■狗盗

孟嘗君の食客。盗みが得意。「狗盗」というのは、名前というよりは、特技から来たあだ名。幸姫に要求された皮衣を盗み出し、孔路がこれを幸姫に贈った。

■馮灌(ふうかん)

「馮驩」とも。孟嘗君の食客。弁舌が得意。孟嘗君が失脚した際でも、孟嘗君に付き従って尽力する。孟嘗君からの待遇が悪かった時、「長鋏(ちょうきょう)帰らんか」(わが剣よ、さあ帰ろう)と言って「弾鋏」(剣のつかをたたく)して不満をもらした話でも知られる。

■斉のビン【さんずいに民+日】王<斉>

斉王。孟嘗君と折り合いが悪く、何度も孟嘗君を失脚させる。ビン王の死後に即位した襄王は、孟嘗君と和解した。この本にはなかったけど、燕の楽毅に攻められて、斉の70余城を抜かれたのは、このビン王の時だったような。

■戦国四君

いちおうメモ…。戦国時代、多数の食客を抱えていた人物たち。

<斉>孟嘗君  名は田文。

<趙>平原君  名は趙勝。

<魏>信陵君  名は公子無忌。

<楚>春申君  名は黄歇(こうけつ)。


■鬼谷先生

縦横家。経歴不明の謎の人物。蘇秦・張儀の師。

■蘇秦<燕>

縦横家。鬼谷先生に学ぶ。張儀の兄弟子。けっこう野心家。周・秦と遊説したが失敗し、燕の文侯に取り立てられた。燕・趙・魏・韓・斉・楚の六国を同盟させて強国の秦に当たる「合従」の実現を目指す。まずは燕の隣国・趙の粛侯と同盟を結び、韓の恵宣王を「鶏口と為るも牛後と為るなかれ」と説得するなどして六国の同盟に成功、蘇秦は六国の宰相の印を帯びるまでになった。後、燕で悪い風聞が立ち、斉に赴いた(このときの斉の君主は、孟嘗君の段に出たビン王)。張儀が斉の大臣をたきつけて蘇秦を憎ませたので、蘇秦は斉の大臣が放った刺客に殺された。

しかし、自分の死体を策のために車裂きにさせるとは…生きても死んでも策謀一色の人物だな…。蘇秦の死後、合従策は崩壊する。

■張儀<秦>

鬼谷先生の弟子で、蘇秦の弟弟子。大志では蘇秦に劣るが、才能では蘇秦の上。蘇秦の「合従」と逆の「連衡」(秦が他の六国と同盟し、六国同士の同盟をさせない)を唱え、秦に仕官して蘇秦と知略を闘わせる。

蘇秦の死後、六国同士の同盟を切り離し、連衡策を実現していった。南方の楚を弱体化させる手口はかなりあくどい。「秦の六百里の土地を楚に差し上げます」と言って楚と斉の手を切らせたのに、約束を守ったから六百里の地をよこせと言って来た楚に対して「六百里? 私が差し上げようと言ったのは六里ですよ」ととぼけて見せた。怒って攻め込んできた楚を、秦はたやすくひねって破った。


■屈原<楚>

楚の三閭大夫。楚の王族(昭・屈・景の三姓がある)の出身。策謀を好まない愚直な人柄で、張儀を嫌う。張儀の策により、楚の内部では秦に近づこうという風潮が強くなったが、屈原はかたくなに反対した。張儀の謀略によって楚の中で孤立し、楚の懐王の子・頃襄王に追放され、汨羅の淵に身を投げた。その苦衷を吐露した「離騒」は有名。『楚辞』の作者の中での代表的人物。

■楚の懐王<楚>

楚王。張儀に手玉に取られた楚の凡君。一時期、楚に連行されてきた張儀を、寵姫・鄭袖の言葉で許し(もちろん張儀が裏で手回し済)たり、秦の六百里の土地に目がくらんで、屈原の言葉に従わず斉との同盟を破棄したりと、楚を国際的に不利な状況に追い込んだ。最後は、秦の誘いに乗って秦に赴き、そのまま人質に取られて客死した。

■靳尚<楚>

楚の重臣。屈原と逆の親秦派。張儀にいいように使われる。

■鄭袖

楚の懐王の寵妃。張儀の策にひっかかって、楚に送られてきた張儀を許すよう懐王に頼み込んだ。

■楚の頃襄王<楚>

懐王が秦で客死した後に即位。懐王の長男。反秦派の屈原を追放する。

■子蘭<楚>

懐王の末子。頃襄王の宰相。親秦派。

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