『史記』小事典・世家編

久米旺生・丹羽隼兵・竹内良雄編  『「史記」小事典』 徳間文庫 2006



なんとなく読み始めてしまいました。司馬遷の『史記』の超ダイジェスト版。

史記…読んでみたいとは思うのですが、どうも敷居が高くて読めないので(春秋戦国ってごちゃごちゃしてていまいち分からんのです)、この一冊を買って、史記の雰囲気だけでも味わいたいな…と。


「世家」というのは…手持ちの『漢語林』の説明では、「諸侯や王の事跡を述べた編」。

その中でも、春秋戦国の列国の起源が前々から気になっていたので、こちらにちょいちょいメモしときます。

では、この本に載ってる順に…

(姓と爵位については、春秋戦国史さまの記載を参考にさせていただきました)


■呉≪姫姓/子爵≫

周の古公亶父の長男・太伯と次男・仲雍が、末弟・季歴に位を譲るために出奔して建国(ちなみに、季歴の子が周の文王)。それから数えて19代目が寿夢。その孫が公子光、すなわち闔閭。夫差の代に、越によって滅ぶ。


■斉(呂氏。斉太公世家)≪姜姓/侯爵≫

斉は、周の建国に功あった太公望(呂尚)の流れの呂氏の時代と、呂氏を倒して立った田氏の時代に分かれるが、そのうち呂氏の時代の歴史を収める。(田氏の斉については別に「田敬仲完世家」項目がある。)

呂氏の斉は、太公望呂尚がここに封じられて始まる。最も盛んだった時期が、桓公の時代。その後は家臣の力に圧倒され、田常が簡公を弑殺、その孫の田和が康公を海辺の地に遷し、康公の死によって、斉は田氏のものとなる。


■魯≪姫姓/侯爵≫

開祖は周の武王の弟・周公旦。実質的に魯の地に赴任してきたのは、周公旦の子・伯禽で、実質上の初代魯君となる。

周辺の楚・斉・晋などの列強に脅かされ、さらに三桓(魯の桓公の流れを汲む孟孫氏・叔孫氏・季孫氏)が強力で、君主の権力は不安定だった。BC249年に楚に滅ぼされる。


■燕≪キツ[女+吉]姓or姫姓/(公爵→)伯爵≫

開祖は召公セキ【百+大+百】。姓は姫氏。43代続き、王喜のときに秦に滅ぼされた。


■管≪姫姓/―≫・蔡≪姫姓/侯爵≫・曹≪姫姓/伯爵≫

どれも、武王の弟が封ぜられた国。管は周公旦に対して反乱を起こして一代で滅び、蔡・曹も小国だった。


■陳≪キ[女+為]姓/侯爵≫

舜の子孫の国。

厲公の子である敬仲完(陳完。のち田完と姓を変える)は、内紛を避けて斉に逃げた。この敬仲完の子孫が呂氏の斉を滅ぼして田氏の斉を建てることになる(→田敬仲完世家)。


■杞≪ジ[女+以]姓/侯爵≫

「杞憂」で知られる小国。禹の子孫の国。


■衛≪姫姓/侯爵≫

周の武王の同母弟・康叔が始祖。暗君が続いて内紛も絶えない国だった。


■宋≪子姓/公爵≫

殷の紂王の庶兄・微子が始祖。盛んだったのは「宋襄の仁」で知られる襄公の頃。BC286、斉・魏・楚に滅ぼされ、その地は三分された。


■晋≪姫姓/侯爵≫

始祖は、周の武王の子・唐叔虞。唐叔の子の代に国号を晋とした(その前は「唐」)。文公(重耳)の頃に勢い盛んになるが、その後は家臣の力が強まり、BC376に趙・魏・韓に三分される。


■楚≪羋姓/子爵≫

楚の先祖は、黄帝の孫・顓頊(せんぎょく)。周の成王のときに楚に封ぜられる。春秋時代、荘王が「鼎の軽重を問う」ほどの勢いを持っていた時期もあったが、戦国時代の懐王の頃、秦の張儀の策に弄ばれて一気に弱体化、BC223に秦によって滅ぼされた。


■越(越王勾践世家)≪ジ[女+以]姓/子爵≫

越王勾践は、禹の末裔だと言われている。この巻の大半は、句践に仕えた名臣・范蠡のために割かれているらしい。


■鄭≪姫姓/伯爵≫

始祖は、周の第11代・宣王の庶弟。他の国と比べると新しい国みたいですね。BC375、韓に併呑された。


■趙≪嬴姓/―≫

顓頊の後裔。その流れにある殷の蜚廉に二人の子があり、兄の悪来が秦の先祖、弟の季勝が趙の先祖に当たる。

季勝の曾孫・造父は周の成王の御者となり、功あって趙城を賜り、以後趙氏を名乗る。造父から7代後の叔帯が、周の幽王の無道を厭って晋に行った。

趙簡子の時に、晋の有力者である中行氏・范氏を追放し、その子の趙襄子のときに知伯を破って、魏氏・韓氏とともに晋を三分して趙を建国した。


■魏≪姫姓/―≫

魏の先祖は、周の文王の子・畢公高(ということは、武王や周公旦の兄弟か…)。武王が殷の紂王を討った後、畢に封ぜられて姓を畢とするが、その子孫は一度庶民にまで落ちぶれる。

畢万という者が晋の献公に仕え、魏に封ぜられた。畢万の孫・魏武子は、重耳(文公)の亡命に随行している。その子孫の魏桓子のときに、趙・韓とともに晋を三分した。


■韓≪姫姓/―≫

姓は姫氏で、周と同じ。その後裔が晋に仕えて韓原に封ぜられ、韓武子と言われるようになる。


■斉(田氏。田敬仲完世家)≪キ[女+為]姓/―≫

こちらは田氏の斉。

陳の厲公の子である陳完(諡を敬仲)は、国の内紛から逃れるために斉に行った。斉に来て以降、陳完は田氏を名乗る。この子孫が後に呂氏の斉を乗っ取り、田氏の斉を建てる。

田完から6代後の田乞は巧みに人心を掴み、晏嬰をして「斉は田氏のものとなろう」と言わしめる。乞の子・田常は簡公を弑し、その弟を立てて自らは宰相の地位に就いた。常から4代後の田和が周から諸侯として認められ、田斉最初の侯となる。三代目の威王の頃、人材を集めて国力を強化し、「王」を名乗った。


春秋戦国時代で、世家に入っている国はこんなところでしょうか…。

ちなみに秦は、世家ではなく本紀に入っています。本紀とは「帝王の事跡を記した」(漢語林)部分。秦は中華を統一してるので、他の国より格上の扱いなんですね。


始祖・先祖によって分類すると…

●周と同じ姓(姫姓)の国:

呉(太伯・仲雍)

魯(周公旦)

燕(召公セキ)

管(周武王次弟・叔鮮)

蔡(周武王四弟・叔度)

曹(周武王五弟・叔振鐸)

衛(周武王八弟・康叔)

晋(周武王の子・唐叔虞)

鄭(周宣王の弟・桓公)

魏(周文王の子・畢公高)

韓(姓は姫らしい)

●周と異なる姓の国:

斉(太公望/姜姓)

斉(田完。陳の流れを汲むので、舜の子孫と考えていいか)

陳(舜/キ[女+為]姓)

越(禹/ジ[女+以]姓)

杞(禹/ジ[女+以]姓)

宋(殷の微子/子姓)

楚(顓頊/ビ姓)

趙(顓頊―季勝/エイ姓)

秦(顓頊―悪来/エイ姓)

ちなみに禹は顓頊の孫(夏本紀による)。

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