晋の赤狄白狄キラーまとめ

『春秋大事表』巻39「春秋四裔表」より、狄(赤狄・白狄)のまとめ。ちうか、晋の赤狄白狄キラーの皆さんのまとめです。例によって自分用めも。


大事表曰く、狄には赤狄・白狄・長狄の三大部族がいるらしいのですが、その中で晋との関わりが深い赤狄・白狄の記述をまとめてみます。(なお、今回スルーした長狄は、魯の叔孫得臣に捕らえられた長狄僑如なんかの部族っす。)




■赤狄

左伝には荘公32年(BC662)に登場。狄の源流?で、単に「狄」という場合だいたい赤狄。閔公・僖公の頃(BC661~BC627)の間は赤狄・白狄の区別がなかったが、僖公32年(BC628)に狄に内乱が起きた際に分裂したらしい。6氏族に分けられる。成公3年(BC588)に滅亡。


①東山皐落氏

閔公2年(BC660)、(献公に邪険にされた)太子申生が討伐した(させられた)。


②ショウ咎如

成公3年(BC588)、郤克と衛の孫良夫が討伐。杜預注曰く、荀林父にやられた潞氏の残党がこちらと合流していたために郤克達が討伐した、とのこと。これで赤狄は全て滅ぼされた、と大事表さんは考えているようです。


③潞氏

宣公15年(BC594)、荀林父が滅ぼす。杜預注(宣11)によれば、赤狄の中では最強の氏族。それゆえに白狄と間隙が生じたらしく、それを察知した郤缺が白狄と同盟を結ぶことで赤狄を弱体化させる(=BC598)。この郤缺の布石もあり、長年晋や他の国々を苦しめてきた赤狄潞氏を荀林父が討滅するに至る。邲の戦い(BC597)で敗戦の責任を負って自害まで考えた荀林父が、見事に赤狄最強の潞氏を滅ぼすという大功を立てた。

雪辱を果たして安堵したのか、その直後に荀林父は死去したようで、潞氏滅亡の翌年には士会が荀林父に代わって執政になってます。


④甲氏 ⑤留吁 ⑥鐸辰

宣公16年(BC593)、まとめて士会が滅ぼす。荀林父さんの遺志を継いで赤狄を倒した感もある…。最強の潞氏がいなくなったとはいえ、三氏族を一掃する士会はすごいな…1年くらいしか執政やってないのに仕事しすぎや…。


(郤缺→)荀林父→士会→郤克の執政リレーで赤狄を滅ぼしたんですなー。郤缺→荀林父間が少し空いたのは、間に邲の戦い(BC597)があったせいで、士会→郤克間が少し空いたのは、間に鞍の戦い(BC589)があって郤克が斉を叩き潰す方にご執心だったからですかね。この執政四人は赤狄を滅ぼしたものの、揃ってその翌年に執政じゃなくなってるのはなかなかの偶然だなあ…(士会は自分で引退したが)。



■白狄

左伝には僖公33年(BC627)に登場。郤缺が白狄子を捕らえた記事です。3氏族あるらしい。


①鮮虞

さんざん晋なんかと戦ってるんだがしぶとく生き延びる。昭公~哀公年間にかけて荀呉・士鞅・趙鞅なんかにたびたび攻められるが生き残り、後に中山になってるらしい!(←哀公3年の杜預注)


②肥

昭公12年(BC530)、荀呉が滅ぼす。


③鼓

昭公22年(BC520)、荀呉が滅ぼす。


荀呉(荀偃の子)は白狄キラーですな。その荀呉でも滅ぼせなかったのが鮮虞。で、白狄をボコにした荀呉の子・荀寅が、晋の政争で国を追われた末に鮮虞を頼ったらしいんだが…因果なもんだなあ;

あと、あんま関係ない話なんだけど、郤缺って左伝では白狄に始まり(初登場=僖33に白狄子を捕らえる)白狄に終わる(最後の仕事=宣11に白狄と同盟)んだなー。

(2020.10.11)

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