呂蒙の髑髏!?

 ネタ元(…)は、唐の欧陽詢編纂の『芸文類聚』に引用してある「荊州記」です(巻17・「髑髏」)。


*   *   *


長沙の蒲圻(赤壁や陸口の近くにある。陸口は、対関羽最前線の地で、呂蒙殿も2年ほどここに駐屯してました)に呂蒙の墓がある(ええーー!!?)。

墓の中には一つのどくろがあって、きわめて大きい。(って、まさか掘ったんですか墓を!?)

呂蒙は背が高くりっぱな体格だったので(原文「長偉」)、これは呂蒙の頭蓋骨ではないか…。


*   *   *


という話でございます。

墓から出てきたどくろが呂蒙殿のものかどうかは定かではありませんが、呂蒙殿の体格が立派だった…という認識がされていたようですね。それが興味深かったです。


呂蒙殿の墓も、一体どこにあるんでしょうかね…。ほんとに陸口近くなのかな…。個人的には、呂蒙殿が死んだ公安かな…とも思うのですが、公安は蜀との国境に近い地域でもあるので、ここに墓を作ることはないのかも…。となると、もっと呉の内地にある陸口あたりに墓がある、というのも、ありうる話かもしれません。

(2006.10.06)

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