呂蒙の発言中の「穣公の主張」とは

正史三国志(呂蒙伝)で、呂蒙殿が魯粛と論議している時、魯粛の意見を聞いた後に「あなたのご意見は何故穣侯(秦の魏冄(ぎぜん))の主張に沿うものばかりなのでしょう…」とか言っている件で。


この「穣侯の主張」というのがどんな主張なのかがよく分からんところだったのですが、魏冄を蹴落として秦の宰相になった范雎(はんしょ)の意見と対比させてみればなんとなく話が通じる気がしてきた。

范雎は「遠交近攻」論者で、その論を以て秦王(昭襄王)の心を掴み、魏冄に代わって丞相になったらしいのですが(すんません戦国時代はあんまり詳しくないのでけっこうアバウトなのです;)、裏を返せば魏冄は「遠交近攻」の逆、つまりは近い国と仲良くして遠くの国を攻めるというのを基本方針にしていたともいえる。


つまり、「穣侯の主張」というのは、近くと親密にすることで、劉備と結ぶことを指しているのかもしれない。と思った。それだけです(エエッ)。

…っていうか、魏冄は史記に列伝が立ってるんだから(范雎もな)、それを読みなさいという話ですよね…ちゃんと訳本を持ってるのですよ…。でも読むのめんどくs(コラ)


しかし、みやぎたにさんの『戦国名臣列伝』の魏冄がほんまかっこええー

溢れる才覚を持っているのに、それを発揮せずに腰を据えて時が来るのを待つことができるあたりがほんま。先見の明がある人だからこそ待つことができるんだよな…いくら才能があっても、目の前のことばかりに囚われて驀進すれば、そのうち足元を掬われる。

(2009.04.09)

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