呂蒙殿の学問の先生(※妄想)

林田慎之助さんの『人間三国志 軍師の采配』を読んでたんですが、林田さんが「字もろくに書けなかった呂蒙は、張昭に学問を習っていたのでは…」って書いてらっしゃって素敵だった。「以下は私の憶測だが…」って譲歩がついてましたけど。最初に呂蒙を役人(別部司馬)に推薦してくれたのも張昭だし…。そして、張昭の子供の張承が呂蒙と同い年ってのがまたいい感じじゃない!?(同意を求められても)

張昭もさ、君主の前では堅物だけど、子供相手だと、厳格さのなかにもちょっと優しさがあったりしてさ…息子と同い年で見所のある呂蒙がなんだかかわいく思えちゃったりしてさ…そんなのが理想(笑)。

でもやっぱりスパルタ気味だと思います。孫権ですら張昭には遠慮気味でしたしね…。


あともう一人、虞翻から学問を習ったって考えるのもいいなぁ…。荊州討伐で呂蒙殿が虞翻に手柄を立てさせようとしたのは、かつて学問を教えてもらった恩だったりしたらなんだかいいな。

でも虞翻もスパルタ気味だと思う(笑)。


同じ庶民出身の闞沢(かんたく)に習ったって考えるのもなかなか面白いなぁ…。

正史、案外妄想がふくらむな…(笑)。

(2005.09.12)

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