繞朝さんメモ

『左伝』では、士会に策を渡した後の繞朝のその後は記されていないのですが、『韓非子』の説難篇にある話によると、繞朝はあの後秦で殺されているらしい(原文短いので挙げる(岩波韓非)>(則非知之難也、処知則難也、故)繞朝之言当矣、其為聖人於晋、而為戮於秦也(、此不可不察))。殺された経緯については『韓非子』に明記がないけれど、たぶん『春秋事後』というやつにある繞朝の話と同根ですよね…。

『春秋事後』については私は読んだことがなくて、H丸さま宅で紹介なさっているのを見ただけなのですが、それによると士会が晋に連れ戻された後、繞朝の賢さを危険とみなして秦に偽りの情報を流し、結果康公が繞朝を疑って殺したらしく…。つまり繞朝が殺された原因は士会が作ったものだということで…士会がすげいえげつない…こんな士会斬新すぎる…!

うち設定は左伝準拠で進めていくつもりなので、『韓非子』乃至『事後』のように康公が繞朝を殺すという話はスルーして参ります。ただ、すごくインパクトがあったのでここにメモっておきます。

(2012.01.12)

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