共王の怪我@東周列国志
楚の共王は、鄢陵の戦いで目を射られたんですが、左伝ではどっちの目か分からんのですよね…。明末の小説の『東周列国志』を見てみたら左目って書いてあったので、うちでは左目負傷ということにしようと思う。夏侯惇と一緒だ…。しかし、矢を喰らっても、敵の郤至に使者を遣わしたり、翌日も戦う気だったり、かなり逞しいですよね共王様…。さすがカリスマ荘王の子(?)。
ちなみに『東周列国志』では、左目を射られた共王は、矢を引き抜いて(惇と同じく目玉ごと…うおお;)、目玉ごと地に投げ捨ててしまうのですが(これもある意味すごいぞ;)、部下に「これは龍の目、軽々しく捨ててはいけません!」と言われて、えびらの中につっこんだ、と書いてある…。すみません苦手な方;
で、さすがに激昂した共王は弓の名手の養由基に矢を二本与え、「私を射たものをそれで射よ」と命令。で、養由基は一本目の矢で共王を射た将(魏錡)を射殺し、残った一本の矢を持って共王に報告するんですよね…かっこいいわぁ。
(2008.07.26)
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