荀林父と狄についての私見
左伝文公13年に、晋の六卿が狄の賈季か秦の士会を戻って来させっぺーって相談してた時、荀林父さんは賈季を推して結局却下されてるのですが、何故荀林父さんが賈季を推したのか…を少し妄想してみた。
そもそもこの晋六卿会議は秦への対策を講ずるために開かれたものだと思われます。士会が秦に亡命してからというもの、晋はたびたび秦の侵攻に悩まされ、前年に河曲の戦いがあったばかり。文13の春にも詹嘉なる人物を瑕という邑に派して桃林塞なる場所を守らせているが、これは秦への対策であるらしい。つまり当時の晋にとっての悩みの種は秦であって、当時狄は特に晋を困らせていない様子。
だから六卿会議の議題は秦対策すなわち秦にいる士会をどうすっぺという事柄であって、狄はオマケにすぎないと思われます。にも拘らず、狄の賈季を連れ戻しましょうと発言した荀林父さんはぶっちゃけ空気が読めてないのである…(ある意味それが荀林父さんっぽいんですけど…;)。
後の行動を見てみるに、荀林父さんて赤狄対策に人並み以上に力を入れてる人のように見えるのですよね…宣15年に赤狄潞氏を滅ぼしてるのはもちろん、宣6年にも赤狄への対策を講じているし…。文13年の六卿会議で荀林父さんが賈季を晋に戻そうと言ってるのも、彼個人は秦よりも狄を意識してるからのような気がするのです。目下の問題である秦をスルーしてしまうくらいに狄が気になって仕方ない感じ。賈季を晋に戻そうと言ってるのは、賈季その人自身の力を欲しているのではなく、晋の内情を知りる賈季を赤狄から除くことによって赤狄を弱めようとしているように見えるのです。
後々晋は郤缺も士会も郤克も赤狄を討つなり外交的に攻めたりしているので、そんな赤狄に早くから目をつけているのはある意味先見の明があるとも言えると思うのですが、この時にあってはただ空気読めてない感じになってしまってるのですよね~。
(2012.01.14)
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