超アバウトな司馬氏の由来

『元和姓纂』という本で司馬氏の解説を見てみて、ちょっと調べてみると、司馬氏情報の大元は『史記』の太史公自序(巻130)のようです。ここで司馬遷が司馬氏の由来を語ってるのです。


それによると、司馬氏の遠いご先祖は重黎で(というか、重さんと黎さんが別人らしく、司馬氏は黎さんの方の子孫らしい…けどよく分からん<コラ)、尭・舜の頃や夏・商(殷)の頃は、重黎の子孫ってことでいろいろやってたらしい(よく分からんのでアバウト;)。


周の頃は、その子孫の程伯休甫という人が周王室に仕えていて、宣王の頃にそのご本人だか子孫だかが司馬氏になったらしい。恵王・襄王の頃の乱の際に周から逃げて晋に来た。そんで、晋に来てから…士会(隨会)と一緒に秦に亡命して、少梁の地に入ったって書いてあるんですけ…ど…! ここで士会が出てくるなんて思わなかったんですけど…!! 司馬遷のご先祖は士会ファンで、士会と一緒に亡命までしちゃったってことですか! …うおぉ。


ちなみに少梁という地はもともと秦の地でしたが、士会の秦亡命中に秦が何度も晋と戦った際、(左伝の記録上)唯一晋に取られた地であります…つまり、少梁が晋に取られた時、司馬氏はその地と一緒に晋に戻ったんでしょうかのう…。少梁の地がその後どうなったのか分からんので、気になる方はご自分でお調べください…(お前;)。


で、周から晋に行った後の司馬氏は、その後衛とか趙とか秦に分散していったらしいです。今書けるのはそこまでです;

とりあえず、司馬氏が晋の司馬である韓厥とか魏絳の子孫ではないことは分かった…。あと、士会ファンの一族だということも分かった…(ファン…なのか?/笑)。それだけでも十分おなかいっぱいです、ありがとうございます。

(2009.12.31)

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