わからん.html
…という名前のファイルを見つけましてね…だいぶ昔に作ったやつで、一体何かと思ったら、欒盈の年齢が、平陰の戦い(欒盈が卿として左伝に登場する年)のときに弱冠20歳だとしたら、母の欒祁とか、祖父の士匄(欒祁の父)の年齢の見当がつくのでは?ってことを考えてみたやつだった…。
詳細はリンクをご覧いただければと思うんですが、なかなかおもろい結論になったんですよね…士会が秦に亡命中に士匄(士会の孫)が既にいるとかね…(笑)。そんなことあるん?と思って、そんな謎のファイル名にしたんだと思う。
その中でも個人的に興味深かったのが、鄢陵の戦い(BC575)の頃は既に欒黶(欒書の子)と欒祁(士匄の娘)が結婚している可能性が高いこと。鄢陵の頃には既に欒氏と范氏が通婚してるってことですね。そうすると、『左伝』や『国語』の鄢陵の戦い前後の記事で、たびたび「欒范」と二氏が並称されるのも分かる気がする。二氏が通婚してるから、ワンセットのように扱ってるのかも。
そうなると、君主の厲公からするとかなり脅威だよな…人臣一位の中軍の将(欒書)と二位の中軍の佐(士燮)が強いつながりを持ってるんだから。欒書だけじゃなくて士燮もそら目の敵にするよね…。ししょーさんが自らの死を祈ったのも、厲公に敵意を向けられてるのが分かってて、でも既にできた欒氏とのつながりを無視することもできないから、そうする以外に范氏の安寧を保つ方法がない…ということなのかもしれない。
厲公が牙を剥いてきたら、欒書に与するほかなく、自分の手を、そして范氏の名を汚すことになる。万一姻戚関係を無視してでも道理を貫き、弑逆への加担を拒んだとしても、厲公はいずれにしろ邪魔な范氏を根絶やしにするはず。よしんば根絶やしにされる前に欒書が厲公を弑し、范氏が族殺を免れたとしても、欒氏との間に大きな禍根が残る。あの執念深い欒書に憎まれれば、場合によっては郤氏の二の舞になるかもしれんし。いずれにしても最悪なことになるのは想定できる。そうならないためには、厲公や欒書の手が及ばない場所、すなわち黄泉に赴く他なかったのかも。
まあ、息子の士匄は欒書や荀偃から「厲公弑殺に手を貸せ」と誘われるんですがね…。でも、士燮の死が、士匄がその誘いを断る理由になり得るのではないか…と、個人的に妄想しています。つまり、士燮が士匄(広くは范氏)を守ったんじゃないかっちうことです。
以下はオマケ。鄢陵の戦いのときに欒黶と欒祁が結婚してるなら…
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