「正史」と「演義」の間

 …前々からちょっと気になってはいたんですが、最近ついったの方であまりに見かけてしまったので吐き出させてください…。


三国を語るときに「正史」と「演義」を対比して述べる方は多いと思うのですが、「正史」(裴注含む)と「演義」の間にあるものに触れる方は極めて少ない気がします。

ある程度三国に通じている方であれば、「正史」と「演義」の間に、『資治通鑑』『通鑑綱目』『三国志平話』、あるいは講談や雑劇などなどがあったことをご存じだと思うのですが、そこまで触れている方を(少なくとも自分の目に入る範囲では)あまり見かけない。


それらに触れないことについては全く問題ないと感じてます。触れる必然性がないことも多いですし。「正史」と「演義」でこう違うよねーとか、「正史」/「演義」だとこうだよねー、という語り方には違和感はないです。


ただ、どうしても違和感を覚えるのは、「この人物の『正史』のかっこいいエピソードが『演義』にはない、『演義』は分かってない」とか、「この人物の描き方が『正史』とは違う、『演義』が改竄したんだ」とか、「〇〇の『演義』での描き方は『正史』と較べてヒドイ、〇〇は『演義』の被害者だ」みたいな物言いです。要は、「正史」と「演義」の間の差異を「演義」が作ったものであるかのように断じ、かつ「演義」が悪いかのような物言いです。

(だから、「『正史』のかっこいいエピがない!なんでや!(個人の感想)」とか、「描き方が『正史』と違う、『正史』の方がかっこいいのに!(個人の感想)」とか、「描き方が『正史』と較べてヒドイ、腹立つ!(個人の感想)」とかは、個人的には問題に感じません…あくまでそれらを「演義」がしでかした罪であるかのように言うことがモヤモヤするのです…)


前述の通り、「正史」と「演義」の間には、『通鑑』や『平話』などが介在しているので、「正史」にあった記事が『通鑑』の時点で使われていなかったり、原型を留めないレベルで『平話』が改変していたりする可能性も大いにあるはず。なのに、その可能性を一切考慮せず、全て「演義」になすりつけるのは、さすがに乱暴すぎるのではないかと思うのです…。

むしろ、「演義」成立の過程を考えると、講談や『平話』や雑劇で、笑えるくらいに荒唐無稽になった物語を、よくあそこまで史書に近づけ直したものだ…と「演義」を褒めてもいいくらいだと思ってます。『平話』や三国関係の雑劇は訳が出ているので、それなんかをちらっとでも見たことがあれば、この感覚は分かると思います。もー本当に滅茶苦茶ですからね…。

こうして「演義」は、数百年間に亘って蓄積されてきた物語としての面白さとのバランスを取りながらも、極力史書に近づけようと頑張って(?)きたのに、「正史」と違うところがあれば「演義」のせいにされるのでは、「演義」が報われない…。荒唐無稽すぎて「正史」との比較すらできなかったものを頑張って史書に近づけたら、史書との比較が容易なレベルまで近づいてしまい、「『正史』と違うやん!」と怒られるのは皮肉…。


「演義」(特に毛宗崗本)は史書に近づけなおそうという傾向が強いらしい。成立史を考慮すれば、「正史」と違う部分は何でも「演義」のせい、ではないはずです(むしろ「演義」は違う部分をけっこう埋めてきた)。「正史」と「演義」で異なる点を見つけたら、「これだから『演義』はしょーもない」ではなく、何故そうなったのか、どの段階でそうなったのかを考えた方が生産的な気がする(ここまで来ると研究者レベルな気がするのですが;)。

確かに荒唐無稽なところは多いのですが、その中に、数百年の間に蓄積された物語がちりばめられているはず(それ故にそれらが矛盾を引き起こして荒唐無稽に見えることもあると思う)。それを「荒唐無稽」「史書と違う」というだけで切り捨てるのは、安易すぎる気がする…。


先ほども書きましたが、「正史」と「演義」の比較自体は悪いと思っていません。「正史」と「演義」の間にあるものをあまり知らないことを批判する訳でもないです(すごく複雑で難しいのは分かってる…)。が、あまり知らないのであれば「『演義』についてはあんまり知らないから『演義』が悪いと断言するのは避けようかな…」と一旦立ち止まってみてもいいのではと思うのです…。


…金文京先生の『三国志演義の世界』を見ていただけると嬉しい…。

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