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イラスト(創作春秋)

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 左伝の成公年間に出番のある創作晋人。 郤克(郤伯/郤子/郤献子) 父:郤缺 子:郤錡 士燮(范叔/范文子) 父:士会 弟:士魴 子:士匄 欒書(欒伯/欒武子) 父:欒盾 子:欒黶・欒鍼 郤至(温季/郤昭子) 父:蒲城鵲居 弟:郤毅(歩毅) 苗賁皇 父:楚の闘椒(子越) 巫臣(屈巫/子霊) 子:屈狐庸 韓厥(韓子/韓献子) 父:子輿 子:韓無忌・韓起 荀罃(知罃/知伯/知子/子羽/知武子) 父:荀首 子:知朔

イラスト(鬼滅の刃)

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 甥っ子のリクエストで描いた、塗り絵用の絵です。 時透くん 善逸 義勇さん 宇髄さん 不死川兄弟 蜜璃ちゃん カナヲちゃんとアオイちゃん しのぶさん(と義勇さん)

イラスト(三國無双8)

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 無双8のキャライラスト。ほぼ呉。 陸遜 程普 甘寧&凌統 徐盛 朱然 呂蒙 魯粛 荀攸 陳宮

イラスト(三國無双・呉)

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 サイト(黄雀楼)から無双絵(呉)いくつか。 呉カルテット+ 酒乱 孫権の宴(5) 戦友(5) 荊州奪還後(5) 呉カルテット(6) アナログ陸遜(6) 物騒 火計コンビ(7) …呉がすきです!!

『新鐫陳眉公先生批評 春秋列国志伝』

 明代に成立したという『春秋列国志伝』について調べてました。で、 『新鐫陳眉公先生批評 春秋列国志伝』 徳田武 編・解説  ゆまに書房  1983 なる本を見つけました。その解説に、『春秋列国志伝』について書いてあったので、それをまとめてみます。 解説で引用されている孫階第の『中国通俗小説書目』巻二清講史部によれば、『春秋列国志伝』は大別して二種類あるらしい。 1. 『新刊京本春秋五覇七雄全像 列国志伝』 八巻本 ▼明・万暦丙午(34年)、三台館の余象斗の重刊本 ▼各巻に「後学畏斎余邵魚編集」「書林文台余象斗評釈」と題す ▼名古屋の蓬左文庫が所蔵 2. 『新鐫陳眉公先生批評 春秋列国志伝』 十二巻本 (以下『春秋列国志伝』と表記します) ▼明・万暦年間の刊行 ▼各巻に「雲間陳継儒重校」「姑蘇キョウ[龍+共]紹山梓行」と題す ▼国立公文書館内閣文庫・北京図書館などが所蔵 ちなみに、内閣文庫の版本と北京図書館の版本は、同系統の版本であるが体裁が異なっており、朱篁なる人物の序文が北京図書館本の方にはついている。なお、北京図書館本は、万暦乙卯(43年)の刊行であるらしい。 双方、殷の紂王から秦の始皇帝までの約900年間を取り扱ったもののようです。内容がいろいろと異なっているらしい。 *   *   * ちなみに、ゆまに書房から刊行されている、私が参照したこの本自体については以下の通り。 底本にしているのは、内閣文庫所蔵の『春秋列国志伝』十二巻本。これを影印して掲載しています。 内閣文庫本について、解説にて孫階第の『日本東京所見中国小説書目』(巻三・明清部二)を引用しており、それによればこの内閣本は、 ・各巻の前に図五葉(10枚の挿絵。一葉は2ページ)がある ・最初には陳眉公の序と「列国源流総論」がある ・毎則(各章)の後には批評、毎巻の後には総批がついていて、これらの批評は行書で書かれている ・北京図書館本には万暦乙卯の朱篁の序があるが、内閣本にはない ・北京図書館本と同系統だが、北京図書館本が半葉(1ページ)11行であるのに対し、内閣本は半葉10行となっていて、版が異なる …と、そんなところになるかと思います。 内閣文庫所蔵本の影印とともに、早稲田大学出版部刊行の『通俗廿一史』(第一・二巻)の日本語訳を掲載しています。この『通俗廿一史』は、江戸時代に清地以立(きよ...

『春秋名臣列伝』メモ・その3

 春秋名臣列伝メモ、ラスト5人です。だんだんメモが長くなっていく…;; ■晏嬰■ 管仲の後に出た斉の名宰相・晏子。諸葛亮が作ったといわれる「梁甫吟」が晏嬰を詠ったものなので、三国スキーさんは知ってらっしゃるかと。生前から吝嗇家として知られていて、父の晏弱を葬るにしても礼の規定以下の規模だった。故に、礼容を重んずる孔子からその点で批判を受けた。礼容を守るか、現実に即して倹約するかで、孔子と晏嬰の考えは逆だったかも。孔子が斉を訪れた際も晏嬰は、外の飾りを立派にする孔子は斉の政治には不要だと退けている。が、孔子の弟子・曾子は、「恭敬の心があった晏子は礼を知るといえよう」「国が奢っているときに君子は倹約を示すのだ」と言って肯定した。また福祉を奨励し、主の景公は晏嬰の考えを受けて、身寄りのない者を国で養った。晏嬰が死ぬと景公に直言する者はいなくなり、お追従ばかりを聞く景公は嘆いた。 ▼斉の景公 霊公の子。兄の荘公の後に君主となる。斉に来た孔子を召抱えようとしたが、晏嬰が反論したので登用しなかった。晏嬰の補佐を受け、社会福祉政策を行った。 ▼陳乞 陳無宇の子。景公の死後、後継者問題に乗じて斉の有力者を屠った人。強力だった国氏・高氏と他の大夫たちを反目させ、二氏を斉から追い出した。陳乞の子が陳恒(田常)で、彼が斉を簒奪する。 ■季札■ 呉の賢人。呉王・寿夢の末子。寿夢は君主に立てたがったが季札が頑なに断ったので、結局長男の諸樊が呉王を継いだ。兄たちは順に王となり、最終的に季札に位を譲ろうとしていたが、呉が外交関係を温める必要に迫られると、季札が使者となって中原諸国を訪問した。魯では、題名の分からぬ歌を聴いて的確な感想を述べ、晋では趙武・韓起・魏舒に会って「晋はこの三族のものとなりましょう」と予言した。徐という国に立ち寄ると、徐の君が季札の剣に目をとめた。後に徐に立ち寄ると、徐君はもう逝去していた。季札は徐君が剣を欲していたのを察しており、その墓の木に宝剣を掛けていった。ある人が不思議がると、「私はこれを徐君に差し上げようと思っていた、その我が心には背けない」と答えた。呉王夫差の代まで生き続けた。 ▼寿夢 呉王。呉の国力を伸ばした明君。 ▼諸樊 寿夢の長子。楚との戦いで戦死。季札にまで王位を伝えるよう言い残していた。 ▼餘祭 寿夢の次子。兄の遺言に従い、季札を延陵に封じた。...

『春秋名臣列伝』メモ・その2

では、春秋名臣列伝の続きの5人を…10人分書こうとしたけどかなり長くなりそうなので分けます; ほんと、知らないことだらけでまとめるのに一苦労だ…苦笑。 ■巫臣■ 楚の人。屈巫ともいう。戦国時代の屈原と同じ屈氏。才覚があり、祭祀・呪術に明るかった。楚が陳に攻め込み、美貌の夏姫を捕らえると、巫臣は夏姫に一目惚れ(?)し、荘王や子反が夏姫を娶りたいと言うのを諦めさせた。荘王が没すると、巫臣は夏姫を伴い、晋の郤至を頼って亡命し、晋では大夫として厚遇された。夏姫に未練がある子反と、以前巫臣に口を挟まれて領地をもらえなかった子重とが、楚に残った巫臣の一族を根絶やしにして報復すると、巫臣は「お前たちを奔走して疲れさせてやる」と、楚の隣の呉に中原の戦法を教え、度々楚に攻め込ませた。その度子反と子重は駆り出された。なお、巫臣と夏姫の間に生まれた娘は、晋の賢人・叔向に嫁ぐ。 ▼子反(公子側) 楚の臣。夏姫を娶りたいと言ったが、巫臣に「不祥だ」と言われ諦めた。巫臣が夏姫と出奔すると、騙されたと怒り、同じく巫臣に恨みを持つ子重とともに巫臣の一族を絶やし、その財を分けた。後、巫臣は呉に楚を攻めさせ、子反と子重は戦場を駆けずり回ることになった。なお後に、エン陵での敗戦の責任を取って自害した。 ▼夏姫 鄭の穆公の娘(子駟や子国などとは兄弟)。嫁ぐ相手が皆死んだり亡命を余儀なくされる、不幸の美女。子の夏徴舒が陳の霊公を弑したのを咎めて楚が陳に攻め込んだ際、楚に捕われる。楚では連尹襄老に嫁ぐが、彼もまたヒツの戦いで戦死。かねて夏姫に心を寄せていた巫臣によって楚から抜け出し、ともに晋に赴く。 ■祁奚■ 晋の大夫。祁氏は、晋の献侯(←献公詭諸ではない)から出たとも、隰叔(←士イの項を参照)から出たとも言われる。晋の悼公が立つと中軍の尉となる。三年で引退を申し出ると、後任には仲は悪いがまっすぐな解狐を推挙した。着任前に解狐が死ぬと、今度は自分の子・祁午を推挙した。仇でも憎まず身内でも気兼ねしない人事である(『三国志』呂蒙伝・蒋欽伝に引かれているのがこの逸話)。また、士カイが欒氏を滅ぼした際、晋の賢人・叔向も嫌疑をかけられ捕らえられた。これを噂に聞いた祁奚は、引退の身ながらも士カイを説き伏せ、叔向を解放させた。この時祁奚は叔向に会わなかったし、また叔向も祁奚に謝辞を述べなかった。 ▼趙荘姫 晋の卿・趙朔の妻...