『新鐫陳眉公先生批評 春秋列国志伝』

 明代に成立したという『春秋列国志伝』について調べてました。で、


『新鐫陳眉公先生批評 春秋列国志伝』

徳田武 編・解説  ゆまに書房  1983


なる本を見つけました。その解説に、『春秋列国志伝』について書いてあったので、それをまとめてみます。



解説で引用されている孫階第の『中国通俗小説書目』巻二清講史部によれば、『春秋列国志伝』は大別して二種類あるらしい。


1.『新刊京本春秋五覇七雄全像 列国志伝』 八巻本

▼明・万暦丙午(34年)、三台館の余象斗の重刊本

▼各巻に「後学畏斎余邵魚編集」「書林文台余象斗評釈」と題す

▼名古屋の蓬左文庫が所蔵


2.『新鐫陳眉公先生批評 春秋列国志伝』 十二巻本

(以下『春秋列国志伝』と表記します)

▼明・万暦年間の刊行

▼各巻に「雲間陳継儒重校」「姑蘇キョウ[龍+共]紹山梓行」と題す

▼国立公文書館内閣文庫・北京図書館などが所蔵

ちなみに、内閣文庫の版本と北京図書館の版本は、同系統の版本であるが体裁が異なっており、朱篁なる人物の序文が北京図書館本の方にはついている。なお、北京図書館本は、万暦乙卯(43年)の刊行であるらしい。


双方、殷の紂王から秦の始皇帝までの約900年間を取り扱ったもののようです。内容がいろいろと異なっているらしい。



*   *   *



ちなみに、ゆまに書房から刊行されている、私が参照したこの本自体については以下の通り。


底本にしているのは、内閣文庫所蔵の『春秋列国志伝』十二巻本。これを影印して掲載しています。

内閣文庫本について、解説にて孫階第の『日本東京所見中国小説書目』(巻三・明清部二)を引用しており、それによればこの内閣本は、

・各巻の前に図五葉(10枚の挿絵。一葉は2ページ)がある

・最初には陳眉公の序と「列国源流総論」がある

・毎則(各章)の後には批評、毎巻の後には総批がついていて、これらの批評は行書で書かれている

・北京図書館本には万暦乙卯の朱篁の序があるが、内閣本にはない

・北京図書館本と同系統だが、北京図書館本が半葉(1ページ)11行であるのに対し、内閣本は半葉10行となっていて、版が異なる


…と、そんなところになるかと思います。



内閣文庫所蔵本の影印とともに、早稲田大学出版部刊行の『通俗廿一史』(第一・二巻)の日本語訳を掲載しています。この『通俗廿一史』は、江戸時代に清地以立(きよちいりつ)が翻訳した『通俗列国志』前・後篇を活字にしたもの。


清地以立(1663~1729)は、江戸時代の人。彼が翻訳・上梓した『通俗列国志』はどんな版本に基づいて訳してあるのかは明記してありませんが、解説によれば『春秋列国志伝』十二巻本の系統の本を底本にしたと推察されるとのこと。内閣本と同じ系統ということですね。


『通俗列国志』は、二度に分けて刊行されているとのこと。

原書『春秋列国志伝』の巻1~6の部分の訳は、『通俗列国志』25巻(題簽は「通俗周武王軍談」)として宝永元年(1704)に、巻7~12の部分の訳は、『通俗列国志呉越軍談』18巻として元禄16年(1703)に刊行されている。つまり、後半部分の方が先に世に出ているという不思議がある。


『通俗列国志』は、底本である『春秋列国志伝』を比較的忠実に訳しているようですが、部分的に加筆・修正・削除を加えているようです。それは読者のためであったり、訳者の信条から恣意的に改編したりと、いくつかの要因が考えられるようです。



*   *   *



書誌的なことはここまでにして、ゆまに書房刊の『春秋列国志伝』の方を見てみた自分の感想を…とはいえ、興味がある部分(主に鞍の戦いと鄢陵の戦いの場面)しか見てないので、これしきで感想らしき感想も書けないのですが; とりあえず見た感じをば。


春秋時代や戦国時代を扱っているので、『左伝』や『戦国策』、『史記』などの記述を多少いじっただけかと思ってページを繰っていたのですが、それどころではない史実の改変ぶりです(笑)。鞍の戦いでは、郤克が大負傷した後も暴れまわって敵を寄せ付けない強さを誇り、斉の逢丑甫(=逢丑父)を一撃で討ち取ったり(笑)、エン陵の戦いでは楚の養由基が苗賁皇の策に嵌って射殺されたりといろいろ滅茶苦茶。史書との違いを挙げ始めるときりがありません。正直噴飯ものですが、そのハチャメチャぶりには、いっそのこと面白さすら感じます。多分、他の場面もかなり史実とは異なる内容になっていると思われます。


本文上部には多少のコメントが入っており(こういうのを「眉批」と言うらしい)、本文の中にも時々小さい字で注が入ってます(割注ではなく、一行の注)。人名や地名の後によく入ってる気がします。たとえば「楚共王[焉+邑]陵大戦」という章では、苗賁皇が登場した後、彼の名の後に「越椒之子」という注が入ってます。人名や地名の後の注は、当たっていたり外れていたりで、必ずしも信用できるものではありません。郤錡に対しての注には「郤克之弟」なんて書いてありましたし(本当は郤克の子)。



…と、『春秋列国志伝』の書誌情報と簡易感想はとりあえずこんなところで。

コメント

このブログの人気の投稿

クロスフォリオ始めました

透明感の出し方が分からない

瀕死です…

約三年ぶりの女子

初雪が早すぎる