呂蒙塗臉

以前見つけた呂蒙殿関連のお話を…(笑)

今日は、呂蒙殿の生まれ変わりだという鍾(しょう)という人の話を。


清の袁枚(えんばい)の『子不語』という怪談集に載っている話でございます(巻4・「呂蒙塗臉」)。


*   *   *


湖北の学生で、という人がいた。

唐太史赤子(←謎。人名?)の親戚にあたる。


科挙の試験である郷試(これに合格すれば官吏への道が開ける。倍率は100倍くらいとか)を控えたある日。

夢で文昌神という神様に呼び出され、鍾はその階下にひざまづいた。

文昌神は何も言わず、鍾を目の前に呼んで、筆に墨をたっぷり含んだかと思うと、鍾の顔面に塗りたくった。(な、何するんですか!?笑) 鍾はびっくりして目が覚めた。


鍾は、「これは汚巻の暗示では…?」と思い、気分が落ち着かなかった。(汚巻:科挙の試験の解答用紙を墨などで汚すこと。落第確定などころか、次の試験の参加資格まで失うことがあるらしい。ちなみに郷試は3年に一度しか行われない)


試験場に入場して受験したが、どうも筆が進まなかったので、号舎(試験用の個室)の中で仮眠をとった。と、一人の偉丈夫が個室のカーテンを捲り上げた。長いヒゲに緑の服…これぞなんと関帝(関羽)であった。

関羽はいきなり罵り始めた…

「呂蒙のおいぼれめ!(原文「呂蒙老賊」←そんなに歳とってないのに…笑)

顔に墨を塗ったからと言って、この私の目をごまかせると思ったか!?」

言い終わるや、姿が見えなくなった。

鍾は初めて、自分の前世が呂蒙であることを知り、心底震え上がった。


鍾は試験に見事合格した。

10年後に山西解良県の知事に任命された。(解良って…関羽の故郷っすよ…!)

着任して3日目に、武廟(関羽が祀られている)に参拝したが、ひとたび礼をするや、そのまま起き上がらない。家族が見ると、鍾はもう死んでいた…。


*   *   *


呂蒙殿の生まれ変わりの鍾さんが、関羽に呪い殺される…という末恐ろしい話でございます(苦笑)。そ、そこまで怨まなくても…まして前世の記憶すらない人を殺すとは…あんまりではないですか。文昌神は、そんな鍾を哀れんで、関羽の目から逃れられるように工作してくれたんでしょうか(結局見破られてましたけど…関羽の執念おそるべし)。文昌神というのは科挙の神様で、日本で言う天神様みたいなものかと。


科挙の試験に関する記述が訳しづらかったのですが、清末の科挙試験の様子を紹介した宮崎市定『科挙』に基づいて訳してみました。

宮崎さんの『科挙』(中公新書、1963)は、清末の科挙制度を概説したものですが、おもろい話もたっぷりあってオススメです。

鍾が受験した郷試には、よくオバケが出たらしいですよ(笑)。関羽が出たのもその郷試です。号舎という個室…でも「独房」と言った方が事実に近いのですが…で、3日間缶詰にされるので、気がおかしくなる受験生も少なくなかったらしい。そんな受験生の精神状態と相俟って、奇怪な話が生まれるそうで。


呂蒙殿の生まれ変わり…って滅茶苦茶羨ましいのですが、関羽に呪われるとなるとマジで恐ろしいですね…ヒィィ。


あと、関羽が呂蒙殿を罵って使っていた「老賊」という言葉、三国演義だと、曹操・黄忠・王朗がこんな言葉で罵られてました。ちなみに、曹操を罵ってるのは孫権・周瑜などの若い奴らです(笑)。黄忠や王朗はホントに白髪のじーさんです。訳すとやっぱり「おいぼれ」が近いのかな…。

(2006.10.03)

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