『左氏会箋』での郤至の扱い…

郤至といえば、『左氏会箋』での扱いが面白かったなぁ…なんか、ちょっと扱いがヒドイ気がする(笑)。


成公12年(BC579)、晋と楚の二大国間の同盟が成り、郤至が楚に使いしたときのこと。楚側は盟なんて守る気がほとんどなくて、楚の共王様の補佐をしていた司馬子反なんかはその態度を言葉の端に出していたのですが、それを察した郤至が、子反に対して理路整然と、礼を用い詩経の一節を引いて堂々と反論するという、郤至的にはかなりの名場面があるのです…この前年に、周王室と田土の件でもめていたとは思えないくらいの、堂々たる立派な台詞です(笑)。


で、その場面の最後の方につけてあった箋(日本の学者さんがつけた注みたいなもの)が面白くて…。


郤至はその台詞の中で、享礼・宴礼について触れているのですが、実は、執政となったばかりの士会が周に行ったとき(BC593)、周の定王からやはり享礼・宴礼についての話を聞き、それをきっかけに晋の典礼を整えた、という話があるのです…。

箋はそれを引き合いに出して、「郤至はもともと礼なんて知らん奴なのに、これだけのことが言えたのは、士会が典礼を整えたおかげ」的なことを言っているのです…。つまり、郤至のこの堂々たる台詞でもって、郤至ではなく士会を褒めているのですよ…えええ! やっと郤至のカッコいい場面が出てきた~と思ったら、みんな士会に持って行かれてるやん…(笑)。ここは素直に郤至を褒めてもいいと思うんですけど…。


郤至も好きですけどね~好漢ちっくで。かっこよかったりアホだったりして(笑)面白い。周王室と揉めるなよ…厲公に止められてどうすんねん…。

(2010.02.22)

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