「士燮」という呼び方

 『左氏.会箋』という本があったので、借りてきて見てますー。とりあえずエン陵のあたりをざっと。『会箋』には、左伝本文と杜預の注、日本人(明治頃の竹添.光鴻という方)がつけた箋がついておる。返り点つきなので、頑張ればなんとか読めます。杜預の注は別の本に載ってたのを見たことがあるのですが、この箋を見るのが初めてなんですよね~。


…この方、士燮のふぁんなのではあるまいか?と思うくらい、ものすごい士燮を褒めあげていらっしゃる(笑)。「道理に外れたことは一言も言ったことがない」とか、とにかく褒めていらっしゃる。箋の中で、欒書や郤至、韓厥あたりはたいがいそのまま名で呼び捨てることが多いのに、士燮を呼ぶ場合は、9割方「(范)文子」というおくり名を使い、いみなを避けているほどである…。


確かに、「士燮」ちう呼び方は、少々面倒くさかったりするのである…前にも書いたことがある気がしますが、後漢末に同じ「士燮」という名の有名人がいらっしゃるから。『三国志』で、太史慈と同じ巻に立伝されているあの人。彼との区別もあるので、「士燮」という呼び方は少々ややこしいのである。

だから、西晋の杜預の左伝注や、呉の韋昭の国語注なんかでは、春秋の士燮を指す場合「范燮」という呼び方を使っておることがけっこうある(中央研究院の検索を使ってみると分かりまする)。裴松之の三国志注でも春秋の士燮が出てくるが、「范燮」の方で呼んでいる。「范燮」という呼び方は、『左伝』や『史記』、『国語』の本文中でも使われてないようなので、やっぱり三国時代以降、後漢末の士燮と区別するために「范燮」と呼ばれるようになったのかなぁ。確かに『左伝』には、父は范会、息子も范カイと呼ばれている箇所があるので、「范燮」という呼び方も可なのですよね。


なので、会箋の箋でも「士燮」という呼び方は極力避けてるのかもしれませぬ…それともやはり箋をつけた方の贔屓もあるのだろうか…(笑)。ちなみに、後漢末の士燮さんは左伝の研究家で、『春秋経』という著作もあるそうですよ(隋書経籍志)! 『士燮集』なんてのもあるそうですよ(隋書礼儀志七や旧唐書経籍志)! 士燮が左伝研究家って面白いなぁ…残ってたらなお面白いのに…(さすがに残ってないですよね;)。自分と同じ名の人物の記事をどう解釈していたのか、かなり気になる。

(2009.09.20)

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