親馬鹿つながり?
宋の蘇洵の「名二子説」(二子に名づくる説)という文章を見つけて読んでました(漢文大系の『唐宋八家文』に入ってた。明治書院の『唐宋八大家文読本』にも入ってると思われる)。「二子」というのは、蘇軾と蘇轍。この親子は「三蘇」と呼ばれる名文家ですよね…親父の蘇洵が「老蘇」、兄貴の蘇軾が「大蘇」、弟の蘇轍が「小蘇」。蘇軾は、三国好きさんならばおなじみの、東坡志林や赤壁の賦を作った人。蘇東坡と言った方が通りがいいかも? 蘇轍は水滸の方にちらっと出てきてましたね…小蘇学士。高俅を厄介払いした人(笑)。
で、「名二子説」というのは、蘇洵が二人の子に「軾」「轍」と名付けた理由を説いた、100字にも満たない短い文章です。でも、これがすごく親心に溢れててですね…読んでてすごく和むのです…。大意は、軾(挨拶するときに手を掛ける前木らしい)は車には不要そうだがこれがない車はなく、轍は車の役には立たないが、車が壊れ馬が倒れようともその禍にはかからない(…そんなふうに生きて欲しいという願望を込めたんだ)的なことが書いてあります(*ほんとに超大雑把です;)。
それで、この締めの文がですね…「轍乎、吾知免矣」という文になっててですね…。こ、これ…鞍の戦いから帰った士燮に対して、士会が話しかけた言葉を思い出さざるを得ない…!
左伝より国語の方が対応度が高いので、国語の方の士会の台詞を引いてみるに、
「燮乎、女亦知吾望爾也乎」(燮や、女(なんじ)も亦た吾が爾(なんじ)を望むことを知れるや)
「吾知免矣」(吾 免れんことを知れり)
ですよ…に、似てると思うんですけど…! 誰が「(禍を)免れる」かがちょっと違うかもですが…。
しかも蘇洵が言ってることも、いかにも士会士燮親子が好きそうな内容ですしね!(<どんなだ) 蘇洵がこれを踏まえてるのかどうかは知りませんが、とりあえずメモメモ。しかしなんかニヤニヤが止まらなかった…(重症)。
(2009.11.29)
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