士カイの字

左伝と国語をちらちら見ていた分には、士カイの字って見つからなかったのです。が、史記の注にそれらしいことが書いてあった…史記の趙世家のとこに、唐の司馬貞さんという人がつけた注(索隠)に書いてあるのですが…曰く、


(范氏についての説明箇所)缺生武子会、会生文叔燮、燮生宣叔カイ、カイ生献子鞅、鞅生吉射。


士カイのことを「宣叔」と言ってるのですよね…ということは、士カイの字は叔ってこと…? この索隠の拠った文献がなんか胡散臭い所があって(ほぼ同じところに中行さんちについても説明があるのですが、中行という氏は、荀偃が中軍の将になったのが始まりやーみたいなことが書いてある…けど、荀偃じゃないですよね…荀偃の祖父の荀林父さんが、中行という歩兵の一軍を統括するようになったからだったと思うんですけど…)信憑性が微妙な気もします…。


うーん、とりあえず暫定で、拙宅では士カイの字は叔ってことにしておこう…。また別の資料でも見つけたら、暫定から決定に移行したり、暫定から却下になったりするかもしれません。この索隠が言ってることが信用に足るのかどうか、ちょっと不安なのです…。


ししょーさんを「文叔」って言うのも初めて見たなぁ…なんか新鮮だなぁ…。士燮さんは、諡号が「文」で、字が「叔」なので、そう言うのもアリではあるのですが、見たことがなかったからなぁ…。「文子」の方しか見たことがない。

しかし、趙盾(<諡号は「宣」で字が「孟」)なんかは「宣子」と言ったり「宣孟」と言ったりするしなぁ…諡号の後に、「子」をつけるのか、生前の字をつけるのか、のボーダーラインって何なのだろう…あるのかないのかも分からんけど、趙盾はどちらの呼び方も左伝に出てくるのに、士燮とかは諡号+「子」の方しかないんだよなぁ…どうでもいいけど気になるなぁ…。

(2010.02.09)

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