三賜(三命)について

 久々の『礼記』めもです。今回は「三賜」(「三命」とも)についてです。


「三賜(三命)」とは、鄭玄の注によれば①官職+②衣服+③位階と車馬、らしい。親が既に亡くなっているならばまるまる受け取ってOKで、親が存命の場合は、三賜に含まれる車馬は(身の安楽をはからないという意味で)辞退するのが礼らしい。


「三命」ってどこかで見たな…と思ったら鞍の戦いですね。鞍の戦いについては、同人誌を描くために左伝も公羊伝も穀梁伝もそれなりに目を通した(つもり)なので、うっすら記憶に残っていた…。

拙宅でおなじみの鞍の戦いの晋の三卿(郤克士燮欒書)が、斉をシバいた帰りに魯の成公から「先路三命之服」をもらった、という話が『左伝』成公2年にあるのです。


つまり『礼記』に従うならば、親(父)が既に亡い郤克と欒書は三命をまるまる受け取ってよく、親(父)が健在で、帰国後に「私がどんだけお前の帰りを待っていたと思ってるんだ!」と親馬鹿を発揮される(笑)士燮は、車馬については辞退すべき、ということになるんでしょう。この時は魯の成公から「先路」も賜っているのですが、こちらも車馬なので辞退した方がいいんでしょうか。

ちなみにこの時、従軍していた他の重要な大夫にも「一命之服」(=官職)が与えられています。司馬として従軍していた韓厥はこちらの「一命之服」を授かっていると思われます。

…ちうか、晋の卿大夫が魯の君主から官職だの位階だのををもらうってのがどういうことなのかイマイチよく分かっていない;; 魯の官職を貰ったってことなのか、周の官職を魯の成公が貰ってきてくれたのか、魯の成公が晋侯(景公)に代わって晋の官職を与えたのか、よくわからぬ…。それともこういう時のための形式的な官職みたいなものがあるん??


なお、だいぶ後に荀偃が元帥となって斉に勝利した平陰の戦い(『左伝』襄公19年)の後にも、荀偃ら晋の卿たちが魯の襄公から「三命之服」を授かっています。鞍の戦いに倣ったものらしいです。元帥の荀偃は他にもいろいろオマケでもらっています。

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