古代中国喪服まとめ(首服篇2) リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 5月 22, 2022 田んぼに水が入ってきれいな季節ですね…そしてトラクター渋滞の季節ですね…こんばんは(田舎あるある)。さて、喪服の首服篇の続きです…が、前に上げたやつも少し手を入れたので上げなおし。喪礼の中のどの状況の時にその状態なのかを分かりやすくしてみました。まだ喪冠に至ってないですが、喪冠の説明はけっこう大変かもしれない…。学者によって諸説ある様子だし。でも、なんやかんやで鄭玄先生が最強な印象がある(笑)。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
赤城の山も - 3月 24, 2026 こんにゃく限り…ってCMを昔よく見てました(ローカル)。ってことで(?)群馬旅行二日目は赤城山に行きます! 朝はホテルのバイキング。ホテルの最上階が会場だったんですが、目の前に榛名山が見えて最高でした。チェックアウトしたらガソリンも補充して、一日の準備は万端です…ガソリン代がリッター190円(これでも安め)で涙がちょちょ切れそうですた。ガソリン代爆上がり期とかぶってしまった…。 【おもちゃと人形自動車博物館】 まずはこちらの博物館から! ちょっと遠めの第二駐車場に車を停めます。 ええのう…。群馬のいろんな店に行っても86・レッドサ〇ズ・シル〇イティのグッズはそれなりに見かけても、ナ〇トキッズのやつはあんまり見かけんかったんですよね…こちらにパネルがあるのがええです。あいつらはすぐ煽ったり小突いたりとガラが悪いからだろうか(笑)。でもなんか好き。 この日はホワイトデーにちなんで受付でお菓子を配っていて、肉球柄のクッキーをいただきました。やったー。こちらの入場チケットがオサレすぎる…チェーンを通せばキーホルダーにでもできそうな小さな木の板とは。板にはテディベアやミ〇ット(?)、ロボット、あと86がいました。 私設の博物館とは思えないほどのクオリティに圧倒されます。特に何も知らなくてもめっさ楽しめます。 こちらはテディベアゾーン。圧倒的物量がありながらも展示の仕方が凝っていてオサレ。 レトロゾーンの没入感も最高です。この駄菓子屋が個人的にたまらん。テレビも古いブラウン管で、映像が流れるのがすごい…。そしてこちらの博物館といえば! ネットで見たやつーー! 86&豆腐店、そして作者さんがオーナーだったFD! こんなに間近に86とFDを眺められて最高でした。このあたりだけアニメのBGMが流れててテンションが上がりました。なお、この先も車がたくさん展示してあって、車好きな方はそちらでもテンションが上がり倒れるんだろうなと思います。 他にも見どころはたくさんありますが、個人的にツボだったのはこちら。 ティーガー!ティーガーです!!(ガル〇ン履修済民) 戦車のレプリカゾーンがありまして、原寸で再現したM4シャーマンとティーガーが向かい合っているのです。原寸大で見るティーガーの迫力が凄かった…もはや動く部屋やん…というくらいにでかかったです。 博物館の途中には、二カ所のお土産... 続きを読む
メルフォお返事です…(>_<)! - 3月 07, 2026 はるかな様 三ヶ月以上もお返事が遅れ、本当に申し訳ありません…(>_<)。コメントをくださり本当にありがとうございます…! 春秋関係のコンテンツをいろいろご覧いただき、どうもありがとうございます!! 春秋関連の資料は、素人が下手の横好きで作ってみたものですので、間違いなどあるかと思いますがご容赦いただければ幸いです…が、春秋の入口としてお役立ていただけたならば大変ありがたいことです…! イラストの方もご覧いただきありがとうございます!お褒め頂けて光栄です/// 晋の一時代に偏ったコンテンツになってしまっていますが(汗)、はるかな様の創作のお役に立てましたら何よりです。是非とも素敵なお話を作り上げてください…! 自分は現在は春秋の創作からは離れてしまっていますが、マイナーな春秋時代の創作をしてくださる方がいらっしゃることはとても嬉しく思います。春秋時代の面白さを、是非他の方々にも広げていただければと思っています…!! 重ね重ねになりますが、お返事が遅れてしまい本当に申し訳ありませんでした…(ほぼ放置状態のサイトにメッセージをいただけているとは思っておらず、メルフォの確認が遅くなってしまいました;)。ですが、今でもご覧いただけていることが分かり、とても嬉しかったです。本当にありがとうございました!! 続きを読む
荀林父と狄についての私見 - 4月 20, 2011 左伝文公13年に、晋の六卿が狄の賈季か秦の士会を戻って来させっぺーって相談してた時、 荀林父 さんは賈季を推して結局却下されてるのですが、何故荀林父さんが賈季を推したのか…を少し妄想してみた。 そもそもこの晋六卿会議は秦への対策を講ずるために開かれたものだと思われます。士会が秦に亡命してからというもの、晋はたびたび秦の侵攻に悩まされ、前年に河曲の戦いがあったばかり。文13の春にも詹嘉なる人物を瑕という邑に派して桃林塞なる場所を守らせているが、これは秦への対策であるらしい。つまり当時の晋にとっての悩みの種は秦であって、当時狄は特に晋を困らせていない様子。 だから六卿会議の議題は秦対策すなわち秦にいる士会をどうすっぺという事柄であって、狄はオマケにすぎないと思われます。にも拘らず、狄の賈季を連れ戻しましょうと発言した荀林父さんはぶっちゃけ空気が読めてないのである…(ある意味それが荀林父さんっぽいんですけど…;)。 後の行動を見てみるに、荀林父さんて 赤狄 対策に人並み以上に力を入れてる人のように見えるのですよね…宣15年に赤狄潞氏を滅ぼしてるのはもちろん、宣6年にも赤狄への対策を講じているし…。文13年の六卿会議で荀林父さんが賈季を晋に戻そうと言ってるのも、彼個人は秦よりも狄を意識してるからのような気がするのです。目下の問題である秦をスルーしてしまうくらいに狄が気になって仕方ない感じ。賈季を晋に戻そうと言ってるのは、賈季その人自身の力を欲しているのではなく、晋の内情を知りる賈季を赤狄から除くことによって赤狄を弱めようとしているように見えるのです。 後々晋は郤缺も士会も郤克も赤狄を討つなり外交的に攻めたりしているので、そんな赤狄に早くから目をつけているのはある意味先見の明があるとも言えると思うのですが、この時にあってはただ空気読めてない感じになってしまってるのですよね~。 (2012.01.14) 続きを読む
うまどしです - 1月 04, 2026 今年もよろしくお願いしますー午年なので今年は当然この選択肢しか…! アニメも始動するし、めっさ楽しみです! 昨年末にSBRのPVが出たので、アニメ準拠のデザインで描いてみました。馬が難しすぎて…でも資料も見ながらできるだけ頑張りました(>_<)。昔は全身を入れた絵なんてなかなか描けなかったのに、全身どころか馬まで入れられたので自分的には満足です。4か月ぶりに描いたわりにはがんばった…(自賛)。 抱負とかは特にないのですが、健康に過ごせればいいなぁ、大過なく過ごせればいいなぁ…と思っています。 年末年始は実家に戻っていました。久々に兄弟全員揃ったなぁ…にぎやかな年末年始でした。何故か握力測定大会になっておもろかったです(弟が握力向上にハマっているため)。 おまけで、今年のお年賀絵の過程です(自分用めも)。 ①ラフ。全体の構図を考えるとこ。だいぶてきとう ②下書き。ここでがんばる(>_<) ③線画・下塗り・影つけ…まで終わったとこ この後は乗算レイヤーで配色の統一感を出したり、加算発光レイヤーで明るいとこを塗ったりします。そして、ジョニィの触覚(何)を描き忘れたのに気づいて、後から慌てて修正しました(汗)。完成版は修正後のやつです。 続きを読む
欒書が下軍の将→執政に特進した件のmousou - 9月 04, 2022 鞍の戦いの頃、欒書様は第五位の下軍の将だったのに、郤克没後にいきなり執政に上がった件についていろいろ考えたことまとめ。 晋では六卿に空位が生じた場合、その下位の人が繰り上がるのが基本なので、郤克がいなくなった後に執政になるのは、順番でいえば荀首のはずなのです。なのに荀首が執政にならず、また欒書より上位にいた荀庚・士燮もまた執政にならずに、自分より下位だった欒書を執政に上せたのはどういうことなのかなーと考えたりしました。 ということで、荀首・荀庚・士燮各人についてその理由を考えてみますた。 ■荀首さん 荀首は邲の戦い(魯宣公12年)の際は下軍大夫で、欒書は下軍の佐だったのですよね。欒書は人臣第六位の卿、荀首は卿ではなく大夫にすぎない。よって、かつては欒書が上位、荀首の方が下位。 それが、鞍の戦いの頃(魯成公2年)には、荀首は中軍の佐(2位)、欒書は下軍の将(5位)。荀首が異様な昇進を遂げているんですが、『左伝』成公2年の巫臣の言によれば、荀首は晋の成公の寵臣で、かつ赤狄潞氏を滅ぼす功を立てた荀林父の弟なので、成公(魯宣公9年=BC600没)の子である景公が特進させたのかもしれない。 荀首は邲の戦いにおいて、楚の連尹襄老(当時の夏姫の旦那)を射殺し、公子穀臣を捕らえる功を立てているので、その褒賞の意味もあるのかもしれない。あの惨敗の中で上軍を無傷で撤退させた士会・郤克に次ぐ働きと言っていいように思う。それもあって異例の昇進をしているのかも。 郤克の死後、その時の順位でいえば荀首が執政になるのが順当だし、荀首はそれに堪える人物だとは思うのですが、かつては欒書が自分の上官だったこと、自分がこの地位にあることがそもそも異例であること、あるいは自分の子(荀罃)が楚で虜囚となっていることから、執政になることを辞退し、欒書を執政に推したのでは?と思います。 ■荀庚さん 荀庚についてはぶっちゃけよく分からない…とにかく影が薄い…。上軍の将(3位)だけど、戦があれば上軍を率いるのはたいがい上軍の佐の士燮だし…(成公2年の鞍の戦い、成公4年の許救援然り)。 荀庚は戦が嫌いなのかも。荀庚は邲の戦いの時、父の荀林父とともに中軍にいたのではと思う。晋の卿大夫は戦の際に息子を帯同することもけっこうある様子なので…邲の戦いの荀首・荀罃、同じく郤克・郤錡(文中の「駒伯」を郤錡とするならば成... 続きを読む
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