近頃喪礼が旬な理由(3)

 ということで、今度はししょーさん視点でいろいろ考えてみる。いつも以上に妄想強め。


叔孫シャクのように、祈って間もなく亡くなってしまうと、何かあった頃には小祥が終わってしまうので、士匄が誘いを断るのが難しくなります。だから早すぎはダメ。遅すぎると当然自分自身が難に巻き込まれるのでダメ。タイミング(というのも変な気はしますが;)を選ばないといけないと思われます。

士匄を難に巻き込まないためには、葬が終わるまでの死後3か月間を国難に重ねるのが確実。葬を終えるまではまだ遺体が家にあり、士匄はそこから離れることはできないので。さすがに葬を終えていない人を弑逆に誘うことはできないはず。卒哭を終えるまでの5か月間も、『礼記』の雰囲気だと、葬の前ほどではないが誘うことはかなり困難だと思う。

ただ実際に士匄が欒書らに誘われるのは、確実に断る機会を過ぎた8ヶ月目。100%断れるタイミングは過ぎてます。違う言い方をすれば、そこに士匄の意思が介在する余地が出てくる…。


なので、誘いを断る口実を士匄に与えつつも、最終的な判断は士匄に委ねるようなタイミングになってるのでは?と思ったりするのです。

ししょーさん的には、鄢陵の戦いの時は出過ぎた息子にブチ切れてたりしましたが(笑)、なんやかんやで息子の判断を信じてるのかな…と。そもそも士匄には、弑逆に加担するデメリットはあってもメリットはない訳で、結局断るという判断にはなりそうですが。


…さらにそもそもな話をすると、死のタイミングなんてそうそううまく図れないと思うので、そこまで狙いすますことができるのか?という問題はあるのですが…。晋の難がいつ起こるかも分かったものではないですし(ししょーさんなら察してそうな気もしなくもないが;;)。結果論にしかなりませんが、でも、それが士匄に断る口実を与えつつ判断の余地を残すという絶妙?なタイミングになっている気がします。それにより、弑逆を「喪に服するために断った」のではなく、「士匄が自らの意志で断った」ことにもなり、士匄くんの株もちょっと上がるんではと思います。


晋の人で、戦死や誅殺みたいな場合を除くと、いつ亡くなったかわかってる人ってそう多くないんですよね…気づいたらフェードアウトしてる。その中で、士燮は亡くなった日付まで分かるレアな人です(ちなみに荀偃も病死した日が明確)。つまり、息子(士匄)が服喪のどの段階にあるか分かるのもレアなのです。こんな考察的なことができるのもレアだと思います。

なお、士匄は父の死の翌年夏には魯に使者として赴いているので、父の死から約1年後、つまり小祥を終えたあたりで政務に携わってるんではないかと思います。


…だいぶ長くなりましたがこれにて終了でございます! 久々に長たらしい妄想を垂れ流してみました(笑)。

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