郤缺さんについてつらつら

本題の前に! サイト更新しました~過去の同人誌から士会士燮親子のまんがの部分と、先日上げた欒書荀首士燮の絵を収納しました。

 


『左伝』の郤缺の記事を拾ってみたのですが、拾ってみていろいろ妄想したことまとめ。卿になってからの妄想はまんがなんかにも描いてさんざんやってるので(笑)、卿になる前の事柄を中心に、あまり脈絡なく妄想をメモっておきます。


●呂郤の乱(僖公24年)について

呂郤の乱は、晋の恵公(夷吾)の腹心だった呂甥・郤芮が、文公(重耳)が晋侯となってから粛清されるのではと考え、その前に文公を弑殺しようと計画した事件。結局、計画が事前に漏れ、呂・郤の二人は文公を殺害し損ね、黄河の方に逃げたという文公を追いかけていったところ、実はそれは文公と秦の穆公の計略で、穆公の手の者により呂甥と郤芮は誘殺された…というのが事の顛末。

この時、郤缺も成年には達してると思うので、何かしらの形で父(郤芮)に協力をしていたのではと思います。で、父の計画が失敗したため、父の邑であった冀を頼りとして落ちた、という感じではないかと思います。頼りにできる人が冀にいたのかな…頼れるくらいの人がいたってことは、郤芮は冀の人々から信頼されてたのかな。

郤芮がどんな人かは、ほぼ調べてないので分からないのですが(汗)、なかなかに横暴な恵公の下に望んで仕えていたあたりからすると、人格者という感じではないのかな…腹黒策士っぽいイメージ。その父に対して、子の郤缺がどんな思いを抱いていたのかもちょっと分からん。郤缺のその後の行動からすると郤缺の方は人格者と言えるので、父の行動に疑問を持っていたりはしたのかもしれない。

ちなみに拙宅では、郤克はこの年に生まれた設定にしてあります。この逃亡劇が郤克の出生・生育に影響しており、先天的・後天的に彼の容姿をあんな感じにしてしまった…なんて脳内設定があるのです。だから郤缺は郤克に対して罪悪感を持っていて、異様に甘々になってます。


●胥臣に対して

で、過去の身分を捨て去って農夫同然の生活を送っていたところ、胥臣に見いだされるんですよね。農夫生活もだいぶ長いはずなのに、夫婦ともに「敬」を忘れずに、礼を保って過ごしてた…ってすごいなあ。

それをたまたま見かけた胥臣が、郤缺を賢人と認め、郤缺を伴って文公に謁見するんですよね。胥臣の方は、礼を尽くすその男を郤芮の子だと思って声を掛けてないと思うんですが、郤缺の方は胥臣を知ってたんじゃないかな…文公とともに長らく逃亡生活を送り、文公の腹心でもある胥臣が、文公を殺そうとした者を父に持つ自分に声を掛けてきた…って、心臓が縮みそうですが。自分もとうとう殺されるのではないか、とか考えてもおかしくない状況なので。

その状況で、自分を逆臣の子として処罰するどころか、文公に推薦する、と言われたら、郤缺はどう思うんだろうなあ…なんやかんやで文公は自分の父を殺した不倶戴天の相手だし。

文公を憎んでいれば、胥臣の申し出を断っていそうですけど、胥臣とともに戻ったということは、(当然思うところはあったと思うんですが)父の非を認めていたところはあったのかなーと思います。このまま農夫として終わることも嫌だったのかもしれない。

拙宅設定では、息子の郤克のことを考えたっちうのが、胥臣の誘いに応じた原因の一つです。田舎では病気になってもまともな医療を受けられない。体の弱い郤克に、より安全な環境を提供したい…ということもあって、文公の下で仕えることも拒まなかった、なんて考えてます。

朝廷に戻った胥臣は、「郤缺は『敬』の人で、『敬』ある者には『徳』があり、『徳』ある者は民を治めるに相応しい」的なことを言って、郤缺を文公に推薦。文公の方は、やはり郤芮に命を狙われたトラウマがあるので、その子である郤缺を取り立てることを一旦やんわり拒むのですが、胥臣の巧みな説得で、郤缺を下軍大夫として取り立てることになります。

ここまで言葉を尽くして自分を復権させてくれた胥臣に、郤缺は相当の恩を感じてるのでは?と思います。郤缺のその後のセリフなんかを追ってみると、何かと「徳」を口にしてるんですよね…胥臣が郤缺を推した言葉の中にも「徳」があることから、郤缺は生涯「徳」に努め、胥臣の推挽の言葉に叛かないよう努めていたのかな?などと妄想してしまいます。


●文公に対して

昔の鉛筆描きまんがでも少し描きましたが、父(郤芮)が命を狙った罪を水に流して自分を取り立ててくれた文公に対しても、郤缺は恩義を感じているのではと思います。一度は郤缺の登用に躊躇があったものの、結局は胥臣の説得をわりと素直に聞き入れてますし。

罪人の子に機会を与えてくれたことを恩に感じ、文公、ひいては彼の子孫が治めるであろう晋のために恩返しをしよう、とその時思ったんじゃないかなー、なんて妄想してます。僖公33年の箕の戦いで白狄子を捕らえ、軍功を立てていることからも、その思念の一端を感じていいのではないかと思ったりします。胥臣とともに賞を与えられて、郤缺は嬉しかったんでないかなー(妄想)。この時郤缺は卿に取り立てられてますが、軍は与えられていないので、当時の君主だった襄公(もしくはその周辺)からは、まだ様子見されていたのかもしれませんが。だからこそ、その疑念の払拭のためにも頑張っていたのかもー。

拙宅の郤缺は晋のためならば手段を択ばず割と強硬なこともしますが、その原動力は文公への恩返しが大きいです。


●胥氏と郤氏の因縁

先述の通り、郤缺を復権させてくれた恩人が胥臣。

しかし、その胥臣の孫である胥克が「蠱疾」を患っていることを理由に、郤缺は胥克を卿から下ろし、趙朔を下軍の佐に据える。これで胥氏は六卿の座を失い、以降卿に返り咲くことはなくなる。

その胥克の子が胥童。胥童は、郤缺が自分の父を卿の位から蹴落としたことを恨んでおり、厲公の寵臣となると、三郤(郤錡・郤犨・郤至)を族殺するよう進言、郤氏を滅ぼすに至る。

胥氏により郤氏が復権し、郤氏により胥氏が卿から逐われ、胥氏が郤氏を滅ぼす…っていうこの因縁がすごいんですよね…ぐっちゃぐちゃにこんがらがってる; ちなみに最終的に三郤を消すのに加担し、その後胥童も消したのは欒書様です(…)。


ほんとに脈絡がないですが、めもめも。調べ物をした後の妄想はよくやるんですが、書き留めておかないとそのうち忘れてしまうんですよね…時々その妄想の中に話のタネになりそうなところがあったりするので、忘れないうちにメモっておこうと思ったのです。

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