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欒書さまとか霊公まわりとか

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 ついったに上げたやついろいろです。 厲公弑殺後、欒書が韓厥に執政の座を譲る感じで描いてみました。なんちゃって背景に苦戦して、完成までにやたらと時間がかかりました…。弑逆事件周りの欒書を描こうとすると、夜で逆光気味にしたくなる…。光の当たる場所に韓厥を残して暗闇の中に姿を消す感じで描いてみました。 かーらーのー お狐欒書様(笑)。ろふたさんの白狐欒書様小説を見て萌えたので…。欒書と狐の関係については こちらをご覧くらさい (そういう逸話が残ってる)。こんなかわいいお狐様じゃないですよ…安らかな眠りを妨げる奴を祟り殺すお狐様ですよ…。 時期は遡って霊公時代。『公羊伝』『穀梁伝』によれば、霊公はパチンコ玉を大夫にかまして面白がってた、と書いてあったので、それを元にしょーもない漫画を描きました…。霊公のデザインはまだない。士会は余裕で全部キャッチ、郤缺は士会を盾にし(笑)、どさくさにまぎれる荀林父さん。そして霊公のために(と本人は思い込んでいる)真額にパチンコ玉を受けに行く趙盾さん。霊公の神経を天然で逆撫でしに行く趙盾…。

追加の紹介文です

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 ついったに上げた、拙宅の人紹介文です。 士季殿ー。ついったに上げたやつに軽い衍字があったので訂正しますた…。 郤缺さん。郤缺と胥臣に始まる郤氏と胥氏の因縁もおもしろいポイントなんですよね…。 趙盾さん。かっこよさげに描いてみましたが、何かと空気の読めない不器用なお方…。 拙宅でよく描く人たちはこれであらかた紹介できたかな?と思います。あとは韓厥とか趙朔とか荀罃とか荀林父がいるといいかなーという感じですね…。悼公時代の人ももうちょっと動かしてみたい気持ちはあります。魏絳や欒黶あたりをデザインしたら、いろいろ動かせそうな感じ。

おひさしぶりの近況諸々

 …さっき上げた趙盾語りに手間取ったり(外交が謎すぎてよく分からんかった;)お仕事でお豆腐メンタルをゴリゴリ削られてたりしてお久しぶりになりましたこんにちは。仕事帰りに寄ったスーパーのレジで唯一空いてるところに知り合いが待ち構えてて、そういう時に限って割引シール貼ってるのとかカップ麺があほのように入ってたりして、えもいわれぬ気持ちになったりもしました(どうでもよい近況)。 以下に、これよりはマシな近況を書いていきます…。 ・LOFTERさんを始めました 中国語圏のサービスなのですが、こちらに創作春秋の作品がいっぱいあると教えていただいて…春秋に飢えすぎて上杉謙信(何)な自分は必死にアカウント登録を試みたのであります。いろいろ試して一週間ほどして無事登録に成功…最終的に、スマホにweiboを入れてそれと連携させてあれこれやったら、何とか登録できた…。 アカウント登録して1,2日は何故か全然つながらなくて、ページの閲覧もほとんどできなかったのですが、その後は閲覧にだいぶ支障がなくなりました(時々つながらないけど)…ちうか今、「支障がなくなり」って変換しようとしたら「士燮が亡くなり」になった自分のPC君の変換候補はどうなってるんだ(少し前についったでそんな話をしていた…)。 「欒書」でタグ検索すると作品が30も出てくるんですよ…何すか楽園ですか…。文字作品が多くて、中国語レベルがミジンコの自分にはハードルは高いのですが、これ面白そう~と思った作品はいいね(喜欢)して後で読むつもりでいる。死後の士燮が狐と化した欒書を抱えていろんな晋の卿(の霊)に会いに行くお話とかがあってめっさ萌えた…萌え倒れた…。辞書引いてメモ取りながら必死に読んだんですが、こんなに苦痛のない辞書引きは初めてだったわ…。 中国語圏の春秋周りでは、擬人化が盛んなのかな? 国の擬人化のみならず、晋なら氏族擬人化なんかもあって新境地すぎた…。日本語圏では(昔はいらっしゃったけど)見かけないのでいろいろ斬新…というか、日本語圏でコンスタントに創作春秋やってらっさる方が、自分の知る限りでは片手で数えられるくらいしかいらっしゃらない…(涙)。はまれば楽しいんですよ春秋は…。 ・LOFTERさんで自分の春秋の人紹介絵を翻訳していただきました (奇跡) そもそもLOFTERを知ったきっかけが、こちらに私の創作春秋作品を翻

趙盾さんについてつらつら(2)

 『左伝』から見た趙盾の妄想いろいろの続きです。 ●河曲の戦い 晋が三軍フル出陣したのに、秦にいた士会に好き放題やられたアレです。ちうか士会が晋の人たちの内情を知りすぎてて怖い…持久戦の提案者が臾駢とか、趙穿の性情とか、 趙盾が(理由が謎だが)趙穿を気に入ってる とか、趙穿が臾駢を嫌ってるとか…どういう情報収集能力してるんです?? で、それらの情報を利用した士会の策にまんまと嵌った趙穿が突出し、趙穿を秦に捕らえられるわけにはいかないと考えた趙盾が全軍を出して、晋が望んでいた持久戦を捨てる羽目に。しかも無事帰還した 趙穿はその後もやらかし、秦軍を追撃する機会を逸してしまう…疫病神すぎるやろ; 以上は『左伝』の河曲の趙盾の話ですが、『国語』では韓厥との話も載ってるんですよね…。趙盾がわざと自分の車に軍列を乱させたところ、趙盾の推薦で司馬となった韓厥がその車僕を刑に処す…で、その公平な処断に趙盾が満足し、「私が韓厥を司馬にしたのは正解だった!」などとめっさ褒めた話。この時の趙盾の韓厥の呼び方がなかなかにおもろい…「厥」と名で呼んでみたり、「女(なんじ)」という二人称で呼んでみたり…自分の子を呼ぶのと同じような呼び方なんすよ…(士会も士燮を「女」「爾」などと呼んでる)。 趙盾は韓厥を我が子同然に養育してたのでは? などと思ってしまう。後々韓厥が趙氏に肩入れするような言動をするのも納得。 趙氏と韓氏の強靭な紐帯を作ったのは趙盾 ですな。 …で、翌年に諸浮で六卿で密会して「秦の随会と狄の賈季をどうすればよい?」と他の卿に諮り、郤缺の提案で士会を連れ戻すことに。このとき、みんな士会を「随会」と名呼びするのに賈季(狐射姑)を字呼びするのはなんなんや。あと、郤缺が士会の性格をめっさ的確に言い当ててるのはなんなんや…士会が秦に亡命する前に仲よかったんか??というレベルの深い理解。 ●謎外交 魯文公14年以降は趙盾の外交話がそれなりに出てくるんですが…何をしたいのかよく分からないことが多い; 趙盾が、というよりは、晋が何をしたいのかよく分からん; ①(文14年)邾の文公の後継争いで、文公の子の一人である捷菑(生母が晋の人)が晋に逃げ込んでくる。彼を新君に立てようとした趙盾が諸侯の軍を率いて邾に乗り込むんだけど、 邾の人が「年長の子である貜且を立てちゃったので…」というと「なるほど」と言っ