ビギナーズ・クラシックス『水滸伝』

 小松謙 『水滸伝』(ビギナーズ・クラシックス 中国の古典) 角川ソフィア文庫


100回本(容与堂本)をベースに、『水滸伝』のあらすじを追った本。一部名場面は口語訳があります。100回本ベースなので、120回本に登場する田虎・王慶故事のあらすじはありませんが、コラムにて紹介があります。

あらすじの紹介がメインですが、コラムもとても面白いです。

筆者の小松先生は白話小説のみならず雑劇等にも強い方なので、『水滸伝』が成立する前に存在した宋江物語についても言及があり、興味深いです。

以下に箇条書きで、(主にコラムの部分になりますが)面白いなーと思った点をメモっておきます。


・北方の金、南方の南宋が対立する時代、宋江三十六人は既に伝説的義賊となっており、北方・南方でそれぞれ異なった性質の物語が形成される。梁山泊が身近にある北方においては、無辜の民を苦しめる権力者をシバいてくれる身近な義賊としての宋江らの物語が成長し、梁山泊がない南方において梁山泊は一種のファンタジーとして、各種芸能で語られていた物語を取り込んで、国家に反逆する宋江らという壮大な物語が夢想されていった。そうして形成された物語の原型を伝えてくれているのが『大宋宣和遺事』(p24~/p243)

記録上最古の『水滸伝』の刊本は「郭武定本」。明の嘉靖年間初期、武定公郭勛が刊行した本。郭勛は、明建国の功臣・郭英の子孫で、明の皇室とも近しい。郭勛は武官でありながら文学を好み、白楽天の詩文集や『三国志演義』も刊行している。郭勛の『水滸伝』『三国志演義』には、自身の経験から来る文官批判がこめられており、これらを身近な人々に配ったらしい。これは『水滸伝』が知識人層に渡ったという意味でも重要(p30~)

現存最古の『水滸伝』の刊本(完本)は「容与堂本」。上流階級向けに、杭州で作られた。陽明学者である李卓吾批評(偽)がついている(p33)

・『水滸伝』の簡本(文簡本)を出版していたのは、福建省建陽の出版社。建陽は世界の商業出版発祥の地といっていい地で、宋代以降、低品質だが(…)廉価な本を大量に出版していた。簡本も大衆向けの本で(上流向けの容与堂本とは対照的)、毎ページ上部三分の一ほどに挿絵がある「上図下文形式」を取る。田虎王慶討伐部分を最初に挿入したのは簡本の方(p35/p265~)

・清代中期以降、中国では金聖歎本(70回本)ばかりが読まれるようになる。一方日本では120回本が本来の『水滸伝』だと認識されていた。20世紀に入ってから、日本では120回本が広まっていることを胡適が知り、これ以降中国でも100回本・120回本が知られるようになる(p39)

・独立した物語が数珠つなぎになったものを「連環体」といい、『水滸伝』の前半部分もその形を取る。清の呉敬梓『儒林外史』はこの技法を継承・発展させた(p45)

・中国の牢屋では食事が出ない。ので、食べ物は誰かが外から届ける必要がある(p53)

武松は容与堂本の挿絵だとヒゲ面のゴツい見た目だが、のちに二枚目化していく。沈璟『義侠記』という南方の演劇が人気を博して以降、美女を殺した冷静な男というイメージが定着していった(p106)

・当時の牛肉について。当時、食肉目的で牛を育てることはなく、牛はもっぱら農作業用。農作業用の牛が死んだ後にその肉を食べることはあるが、とても固い。固いので豚肉や羊肉と較べると安価で、食べるにはじっくりと煮込む必要がある。貧乏人の食べるもの、というイメージだったらしい(p136)

九天玄女が天書を授ける、というのは『水滸伝』に限らず白話小説によく見られる(『大宋宣和遺事』からある)。九天玄女は道教の神で、戦いの秘法を黄帝に授けたとされている(p150)

金聖歎先生は石秀がお嫌い。文簡本『水滸伝』の挿絵では、石秀はいつも眉間に皺を寄せた容貌になっているらしい(p163)

扈三娘が言葉を発するのは第55回の1回のみ(p172)

容与堂本は公孫勝vs高廉のような現実離れした道術バトルが好きでないらしく、李卓吾評では「これは夢物語」などと度々言っている(p179)

天罡星・地煞星について。天罡星は北斗七星の柄の部分のことで、凶神とする説もあり、三十六天罡という言い方も見える。地煞は凶神として星占いの本に見え、七十二地煞という言葉も見える(p226~)。『西遊記』では、孫悟空が「地煞数」(=72)の変化の術を、猪八戒が「天罡数」(=36)の変化の術を身につけている、という設定があった気がする…天罡は36、地煞は72という数と密接な印象。

英雄=星の化身、というイメージについて。前漢末~後漢初に流行った讖緯思想の影響で、後漢建国の功臣28人が天界の二十八宿の化身だという発想が生まれて「雲台二十八将」とされたことが後世にも影響を与えている。ちなみに皇帝(光武帝)は紫微星の化身とされるらしい。なお、民間では紫微星の化身である光武帝が、酔って二十八将を殺してしまう、という話が広まっていたようで、『説唐全伝』や京劇「打金磚」にそういった設定が見られるらしい(p227~)

・78回に登場する「十節度使」の元ネタには南宋の芸能で有名だった人物が多い。徐京・楊温・李従吉は『酔翁談録』に見える講談の題目の中に見える。「楊温攔路虎伝」は『清平山堂話本』(=『六十家小説』という短編小説集の残存部)に残っていて、『水滸伝』の盧俊義や林冲や燕青の話を混ぜ込んだような(要は水滸っぽい)話になっている。十節度使の筆頭である王煥は、南宋の頃に絶大な人気を誇った戯文(=南曲を使用した芝居)「風流王煥」の主人公が元ネタ。「風流王煥」の内容は雑劇「百花亭」から知ることができるそうで、そこに描かれる王煥は、なんでもできる万能の色男らしい(p252~)

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